拾七
「ヒカル、着たか?」 「ああ」
股引きに着替え、男衆に紛したヒカル。 もうすぐ夜見世が始まる時間だ。急がなければ。 女朗にはちょっと手水に行ってくると言い残し、二人は裏庭の塀を乗り越え桑原屋を後にした。
「で、若様は何処におるんや」 「吉原の外。吉原ってさ、ぐるっと溝で囲まれてんだろ。そこに水が流れててさ。でも大門しか外と吉原を繋ぐ場所が無いから、逆にそれを利用するんだ。吉原を囲む塀から抜けだして、あいつと落ち合う」 「そうやな。桑原屋の何倍も高い塀やけど・・・俺がなんとかしたる」 「うん、ありがとう」
二人は小走りに裏道を駆け抜ける。桑原屋には不寝番という、定期的に楼内を見回っては放火や遊女の逃亡などを見張る男衆がいる。ヒカルが逃げた事も、じきに明るみになるだろう。 吉原の中央通りは既にやんやと賑わいを見せ、中には芦原の姿もいた。まさか従兄弟のアキラが、一人の男色の脱走に関わっているとは知らず。 清春とヒカルが目的の塀辺りに近付く頃、桑原屋の方から大きな騒めき声が聞こえる。恐らくはヒカルの脱走がばれたのだ。 予想以上に早かったなと清春は舌打ちし、ヒカルの身体を抱き上げて塀の側に近寄った。
「届くか」 「ん、と・・・もうちょっと・・」 「はよせなヒカル、直ぐに追っ手が来る」 「くっ・・・」
手を必死に塀の上端に伸ばす。清春は下からヒカルを支えていたが、あともう一歩の所で届かない状態にはらはらと気を揉んだ。
「・・・・あっ!!」
やっとの思いで塀に手を引っ掛ける。清春はふうと溜息を尽くと、ヒカルが塀に攀じ登る間、周囲を見渡しては誰か来ないかと警戒していた。 ヒカルが完全に塀に登り、足で跨ぐ。 二人は顔を見合わせた。
「・・・清春、元気でな」 「お前こそ」 「オレ、お前と友達で良かった。ずっと忘れない」 「何言うてんのや、もう会われへんみたいやんか」 「・・・そうだな」
へへっ、とヒカルは鼻を啜り、涙を落とした。それが清春の頬に落ちた瞬間、ヒカルは塀の向こう側に飛び降りる。 無事に事が運ぶよう祈った清春は、頬に付いたヒカルの涙を指で拭った。
「おい清春!お前ヒカル知らねぇか!逃げやがったんだアイツ!」
間一髪、桑原屋の男衆がその場に現れ、やはり血眼になりヒカルを探しているようだった。 清春はさも今知ったかのような顔で、
「ほんまか!?・・ああ、そういやヒカルなら、あっちの方で見た気がするわ」
反対側を指差し、そちらに向かう男衆の群れに混じった。
「冷たっ・・・」
ごほっと噎せ、ヒカルは冷たい水堀をじゃばじゃばと進んでいた。 高い塀から飛び降りた為、足が痛む。しかしそれでもヒカルは前に前に進んだ。 ただアキラと会う事だけを考え、深い溝の中、一度も歩を止めたりはせず。
あと少しだった。目の前に地面が見える。 アキラと落ち合うのはその先の小さな茶屋の裏の林で、ヒカルは最後の力を振り絞った。
「アキラ・・・アキラ・・・」
何度もそう呟き、やがて溝の終わり目にたどり着く。 長かったーーー。 そう思った時、目の前に一人の手が差し出される。
「アキラ?」
嬉々として顔を上げたヒカルの目に映った光景。 ・・しかしそれはアキラではなかく、桑原屋の法被を着た男衆の一人だったー。
きっとこれは悪い夢だ・・・・。
ヒカルの意識が途切れる中、男衆は倒れたヒカルを抱き上げた。
「ここまでだ、ヒカル」

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