今日はバロンとエブラーナとの間に国交が結ばれてから50年目という記念日でした。 現在のエブラーナ王やそのご家族がお越しになられ、お城では盛大な会食会が開かれました。バロン王は僕にも出席するよう仰って下さいましたが、カインとローザと一緒にチョコボの森に行く約束があったので、そちらを優先させて頂きました。ごめんなさい、陛下。 日も暮れかけた頃、何とか捕まえたチョコボに乗ってバロンに帰った僕達は、エブラーナ王の御一行とすれ違いました。会食を終え、バロン西の船場に向かうところのようでした。王様が僕達に気付き、お声を掛けて下さいました。 「はっはっは、その若さでチョコボを乗りこなすとは将来が楽しみだ。もう日が暮れる、気をつけて帰りなさい」 僕達は頭を下げ、ありがとうございます、と返事をしました。エブラーナ王の斜め後ろにいた僕達より少し年上と思われるお兄さんが、ローザを指差し「おっ、あの子なかなか可愛いな」と言っているのが聞こえました。カインによると、離れた年の女の子が好きな男のことをロリコンと言うらしいです。恐らくあのお兄さんはそれなのでしょう。 バロンの城下町に着いた僕達は、ローザの家にお邪魔しました。何時になく機嫌の良いおばさんがキッチンからひょっこり顔を出し、ニコニコしながら「ま〜泥だらけじゃないか。あんた達よく遊んだわねえ。ったくチョコボ臭いんだから、シャワーでも浴びてきなさい」と言いました。いつもなら、女の子が男の子みたいな遊びをするんじゃありません!とローザを厳しく叱るはずなのに。 ローザの家には普段使用するバスルームの他に、来客用バスルームがあります。僕とカインはそこに通され、湯と泡を張ったバスタブに漬かりました。バラの良い香りがしました。ローザと同じ匂いです。 僕はカインと体の洗いっこをしました。いや、正確には洗いっこではありません。名目はそうですが、実際はただのくすぐりあいです。互いの体をくすぐってギブアップした方が負けという単純なゲーム。ついでに体も洗うことができます。 カインは何かと僕と勝負をしたがります。僕はそんなに勝ち負けというものに興味がないのですが、だからといって勝負を持ちかけられて、負けてもいいやとは思いません。カインとは親友でありライバルなのだと、僕なりに感じています。きっと彼もそうなのでしょう。 ですが、今回の勝負はあまりに僕にとって不利でした。僕はくすぐりに極端に弱いのです。お腹周りをくすぐられ、涙が出そうな位くすぐったくて、それでも負けじと彼の太ももをくすぐってやりました。しかしカインはケロリとした様子で、僕の耳元にわざとらしく息を吹きかけたのです。そして言いました、「ここまでだ、セシル!」と。脇の下を一気にくすぐられた瞬間、勝負はつきました。僕の負けだ、やめてカイン、くすぐったいよ! 半ば狂ったようにカインから逃れようと暴れました。僕にとってくすぐられることは、叩かれたり、殴られるよりも辛い拷問なのです。カインは昔から皮肉っぽく、僕に対してたまに意地悪をします。やめて、と嫌がる度にさらに指の動きがエスカレートしていきました。この天の邪鬼! バスルームから上がった頃には、僕はすっかり疲れきっていました。カインは自分でもやりすぎたと思ったのか、腕を組み顔を逸らし、すまん、と小さな声で呟きました。憮然と腕を組む時は彼なりの照れ隠しだと僕は知っています。だから僕はいいよ、もうと言って頷きました。 僕達がリビングルームに向かうと、既に髪のセットまで終えたローザが小走りに駆け寄ってきました。おばさんが珍しい料理をご馳走して下さるそうで、何だか急にお腹が空いてきました。 「去年のエブラーナ大地震の時、バロンが食料支援を行っただろ。その御礼としてエブラーナの特産品が贈られたのさ。昔お父さんとエブラーナに旅行に行った時に食べたんだけど、それが美味しくて美味しくてね……」 おばさんがご機嫌の理由が分かりました。バロン城下の全ての家庭に支給されたらしい“それ”の名前は、ライス(エブラーナではコメと呼ばれているみたいです)というそうです。ライスは麦を白くしたような外見でした。 これはきっと加工前の状態なのだな、と僕は思いました。見るからに固そうだし、このままではとても食べ物とは呼べないような外見だからです。 僕達三人はダイニングテーブルを囲み、キッチンに立つおばさんの後ろ姿を眺めていました。おばさんは厚手の変わった鍋を取り出し、そこにライスと水を入れました。ローザによれば、なんと土で作られた鍋だそうです。ライスと共に支給されたのだと、僕達の会話におばさんが応えました。 ライスはパンと同じ炭水化物で主菜にあたる食べ物だということですが、ライスのあの形状は、パンになる一段階前の状態、つまりライ麦や小麦のそれによく似ています。ですから、ライスをパンと同じカテゴリーで並べるのはちょっと違和感がありました。どちらかといえば、ライスは麦と同じカテゴリーに入るのではないでしょうか。だってライスは加工前なのですから。 半時間ほど経つと、ダイニング全体に嗅いだことのない香りが立ちこめました。土の鍋に置かれた蓋がガタガタと踊っています。おばさんはキッチンタオルを取っ手におくと、一気に蓋を開けました。未知の香りが更に部屋に充満していきました。 「さあ、できたてだよ」 テーブルに置かれたお皿を覗き込み、僕は絶句してしまいました。隣のカインをちらりと盗み見ると、彼は露骨に顔をしかめていました。ローザも困った顔でお皿の中を見つめています。 これはどう見ても加工前です。正確には、火を通した段階の加工途中。これを今からこねたり、すりつぶしたり、焼いたりするんじゃないの?僕達の内なる戸惑いには全く気付かないおばさんは僕達の前にフォークを置いていきます。 「さ、お食べ」 真っ先に意を決したのはローザでした。一呼吸置き、彼女はフォークで加工途中のライスの粒を掬ったのです。女の子は強いなあと関係ないことを頭の隅で考えながら、僕とカインはローザがライスを口に含むのを固唾を飲んで見守りました。幾ばくか心臓の鼓動が激しくなり、背中に一筋の汗が流れるのを感じます。 ローザは目を固く瞑り、ライスを口に含みました。すると、咀嚼するうちに彼女の硬い表現は緩やかになっていきました。飲み込んだ後、大きな瞳をこちらに向け、「美味しい!」と彼女にしては大きな声で言ったのです。 僕とカインは顔を見合わせました。 美味しい……これが……?加工途中なのに!? ローザに後押しされるように、僕はライスをフォークで掬い、口元に持っていきました。同じような体勢のカインと目が合ったので、「いくぜ、セシル」「あてにしているぜ、カイン」という無言の会話をしたあと、せーので口に含みました。 部屋を満たしていたあの香りが今度は口の中に広がり、恐る恐る噛むと想像以上に柔らかく、何度か噛むうちに仄かな甘味を感じました。まさに新食感。 これは……うん……すごくシンプルだけど……悪くないかも……? 僕の脳裏に浮かんだのは“優しい味”というフレーズでした。チョコボを追いかけまわし、お風呂で散々いじめられ、お腹が空ききっていた疲れた体が、ライスを飲み込んだ瞬間、しおれていたお花が息を吹き返すかのように、元気になったのです。もう一口、もう一口、と僕は夢中になってライスを戴きました。 ローザも美味しい美味しいと花のような笑顔で時折おばさんに笑いかけ、ライスを順調に食べています。一方カインは相変わらずの渋い表情を浮かべたまま、ほとんどライスに口をつけていませんでした。 ローザの家を出て、帰り際に僕はカインに問いました。 「カインはライス好きじゃないの?美味しかったのに」 「味がしないのは嫌いだ。中途半端に甘いのが気持ち悪い」 「そうかなあ。優しい味なのに」 「フン、あれはなよなよした女の食べ物だ。だからお前よく女と間違われるんだよ」 「それは関係ないだろ!」 「関係ある。男はあんな軟弱な物食べないんだぜ」 「カインの意地悪!」 「何だよセシル、やるのか?」 ……その後は、毎度のことながら掴み合いの喧嘩でした。 一歳年上のカインの方が僕より背が高く腕力もあったので、僕の方がより傷が多かったのは言うまでもありません。近くを通りかかったアイテムショップのおじさん夫婦に喧嘩を止められ、こっぴどく叱られました。 翌日、学校が終わったあとローザが再び僕達を家に招待してくれました。料理上手の彼女は、ライスを使った料理を早速作ってみたそうです。昨日のこともあってまたカインに女の子みたいだとバカにされると思った僕は、表立ってローザのライス料理に興味がある顔をしませんでした。 「はい。“オムレット・ライスのラタトゥイユ添え”よ」 トマト色に染まったライスに、ふんわりしたところどころ半熟の卵が乗せられ、ソース代わりとしてラタトゥイユが添えられていました。昨日の無機質なライスがローザの手によってこうも劇的に変わるとは思いもよらず、改めて彼女の料理センスには僕もカインも脱帽する思いでした。 食べる前から絶対に美味しいと確信していましたが、やはりそれは絶品でした。 トマトとチキンの風味が活かされた香ばしいライスの炒めもの、それを優しく包み込むふわっふわの卵、トマトの甘味と酸味そしてズッキーニと赤パプリカの程よい苦みが料理をより引き立てているラタトゥイユのソース。ライスをあれだけ馬鹿にしていたカインでさえ、無言でペロリと平らげてしまいました。僕はどちらかと言えば小食なのですが、ローザの作る料理だけは昔から必ずおかわりしてしまいます。ローザの料理は、味が美味しいだけではなく、彼女の食べる者に対する愛情がたっぷり込められているからです。 その日を境に、ローザは様々なライス料理を作るようになりました。 トマト味に調理したライスでチーズを包みパン粉をつけて揚げたライスクロケッタ。魚介類のブイヨンで炊いたライス(ライスは、煮るではなく炊くというそうです)をパエーリャ鍋と呼ばれるもので香ばしく焼き、イカ墨で味付けしたアロッツ・ネグロ。バターで炒めた茸や玉ねぎ、パプリカなどと生のライスを一緒に炒め、コンソメスープで煮詰めたシャンピリオン・ド・ピラフ。 どれも絶品でついつい食べ過ぎてしまうため、体重が500グラムも増えました。カインに至っては、700グラム増えたそうです。 そんなローザが部屋で寝込んでいると聞いたのは、城下町の視察に出向いたバロン王に同行させて頂いた時のことでした。陛下は視察の際、バロンに住む一軒一軒を自分の足で訪問します。 日々の生活に困っていないか、大病を患っている者はいないか、子供の教育に関して何か悩み事はないか、災害時の対策はしているか。質問事項は山ほどあり、全ての家庭を回るため視察は1日仕事になります。 ローザの家に着いたのは、太陽が南中を過ぎた頃の昼下がりでした。陛下の質問に答えていたおばさんが僕を見るなり、セシルちょっと、と言って手招きしました。おばさんによると、ローザが昨日学校から帰宅したっきり部屋に籠もって出てこない、何か理由を知らないかとのことでした。昨日までは兵学校の定期試験があったので、生憎ここ五日間ローザとは会っていません。カインもまたそうだと思います、とおばさんに伝えると、おばさんはため息をこぼしながら陛下の方に歩いて行きました。 バロン王を待たせるとは何事か!という、さいきん副長になったベイガンの言葉にも意を介さずおばさんは上の空です。陛下がベイガンを宥めるのを横目に、僕はローザの寝室に向かいました。視察はもちろん大切ですが、それ以上に彼女が心配なのです。 「ローザ、入るよ」 ドアをノックし、返事を聞かず僕は中に踏み込みました。 「セシル」 「なんだ、カインもいたのか」 カインはローザお気に入りのロッキングチェアに座っていました。ハィウィンド家は彼女の家の近所です。おばさんは真っ先にカインに相談に行ったのでしょう。 ローザはベッドに腰掛け、ぬいぐるみを抱き締めていました。あまり僕達と目を合わせようとしてくれません。 「ローザ、おばさんから聞いたよ。どうしたの?」 僕の問いにカインが代わりに答えました。 「同じ学校の女共に言われたんだと。“男好き”って」 オトコズキって……どういう意味だろう?カインの言っていることがよく分からず、僕は返事に困りました。オトコズキ……オトコズキ……オトコがスキ……オトコが……って当たり前じゃないの?ローザは女の子だもの。女の子が好きだったら、ちょっと変だと思うよ。 「で、トイレに行く時ローザだけ誘ってくれなかったんだと」 僕はますます訳が分かりませんでした。そもそもトイレに行く際に誰かを誘う行為に激しい違和感を覚えます。しかし、それによって確かにローザは傷ついたのです。優しくしっかり者で元気な彼女が、今は泣きはらした顔で悲しい表情を浮かべているのは、僕にとってもとても悲しいことでした。 なんとかローザを慰めなくちゃと思い僕が言葉を発するより早く、ローザが口を開きました。 「ローザちゃんはいつもの取り巻きと行けばいいじゃないって酷いことを言うのよ。それにエレンが、サーシャが影で私の悪口言ってたわよって言うの。サーシャはそんな子じゃないのに、どうしてそんな嘘ついてまで意地悪するのかしら……」 鈍い僕には、そのエレンという女の子の行為の意図が全く分かりませんでした。 ローザの家を出て、カインと湖畔に座って相談会を開きました。なんとカインにはエレンの心の内が手に取るように分かるそうです。さすがカインだと僕が感心していると、第三者なら普通は分かると言われました。 「ただの嫉妬だろ。ローザは男にモテるが女には嫌われるタイプかもな……」 「え?」 「ローザ本人には腹黒さも下心も一切ないのが余計に腹立つんだろ、きっと」 「なんだかよく分からないけど、ローザはすごくいい子だから誰かに嫌われるはずないと思うんだけど……」 「お前はほんと呑気だな。性格いい奴なら全人類から好かれると思ってるのか?むしろ裏じゃ腹黒いこと考えてる奴こそ世渡りが上手なんだぜ」 「そうなの?」 「ああ。例えばほら、近衛兵団のベイガンって奴。あいつとかな」 「え?ベイガンはいい人だよ?僕にもとても親切だし……」 「セシル、お前は頭は良いが馬鹿だな」 「ひどいなあ。……それより、ローザをどうしたら励ますことが出来るかな?」 「そうだな……ローザの喜びそうなものプレゼントするとか」 僕達は何をプレゼントしたらいいのか考えました。ローザの好きなものと言えば、ティディ・ベアに薔薇のコーム、ドレープのドレス……どれも子供の僕達が手を出せる値段ではありません。彼女が喜ぶ身近なプレゼントはないかと日が暮れるまで思案していた僕達は、ふと、同時にお腹の虫が鳴いたのをきっかけに妙案が浮かんだのです。 そうだ、料理だ!いつも僕達に美味しい料理を振る舞ってくれるローザに、今度は僕達が料理を作って恩返しをしよう!全会一致で結論が出たところで相談会は解散しました。 レシピを調べるのは僕が担当で、食材はカインが調達することになりました。僕は帰宅するなりお城のコックさんにライスを使ったレシピを尋ねてまわりました。部屋に戻り様々なレシピを書いたメモを見比べ、最終的に僕達が作れそうな料理を一つ選び出しました。 「パルミジャーノ・チーズ・リゾット?」 「うん。これなら僕達でも作れるんじゃないかな」 「ふうん」 夜中にカインが僕の部屋を訪ねる時は、塔の階段は使わずジャンプで窓から入ってきます。竜騎士の彼には数メートルの高さを飛び上がる位容易いことのようでした。今しがた侵入してきた窓の縁に腰掛け、僕の渡したメモ書きを眺めるカイン。これなら大丈夫だと納得してくれたようで、挨拶もそこそこに窓から去って行きました。 翌日、カインの家に出向くと、ダイニングテーブルの上には食材と調理道具がきれいに用意されていました。ライス、バター、オニオン、マッシュルーム、黒トリュフ、パルミジャーノ・チーズ。コンソメスープは作るのが大変なので、近所のおばさんに分けてもらったそうです。 まずオニオンとマッシュルームを切ることから始めました。問答無用でオニオンの方を渡された僕は、目ににじむ涙を何度も何度も拭いながらみじん切りにしてきました。カインはとうにマッシュルームを切り終え、コンソメスープの入った鍋を火にかけている所でした。 次に、熱したバターでオニオンとマッシュルームを炒めるのは僕がやりました。火の調整が難しく、大きさが不揃いなオニオンは焦げ付き、やたら薄くスライスされたマッシュルームからはどんどん水分が漏れ出します。ローザの真似をしてみようと思いつき、僕はフライパンを揺すりました。一定方向に向かって空中に飛び出したオニオンとマッシュルームが、弧を描いて再びフライパンの中に戻ってくる図を想像していましたが、実際はというと。オニオンの一部が無惨にも外に飛び散り、数枚のマッシュルームは床にぼとりと落ちました。 「何やってんだよセシル。下手くそ」 カインは呆れたように言いましたが、“続けて生のライスを入れて軽く炒める”の手順を担当した彼の腕前も惨憺たるものでした。フライパンにぴっちり張り付いてしまったライスを、二人掛かりで一生懸命削りました。 「後は、フライパンに熱したコンソメスープを少しづつ加えていくんだって。水分がなくなったらまた継ぎ足していくって言ってたよ」 「なんだ、簡単そうだな」 僕がスープを注ぎ、カインがフライパンをゆっくりとかき混ぜます。水分量が減ると再びスープを注ぎ、かき混ぜる……これの繰り返しでした。 フライパンの表面には先ほどのオニオンの焦げが浮いていて、正直、あまり美味しそうとは思えませんでした。それでもきっと完成した頃には美味しそうな見た目になると信じ、ひたすら同じ作業を繰り返していきます。固かったライスはいつの間にか柔らかくなり、コックさんいわくアルデンテの状態で火を止めるらしいのですが、どの状態がそれに当たるのかがよく分からなかったので、とりあえず火を消しました。 カインがパルミジャーノの塊を手に取り、グレーターで削っていきます。熱いリゾットにチーズが溶けていく様が面白く、削るのが楽しくなったらしいカインはなかなか手を止めません。 「カイン、そろそろいいんじゃないかな」 「もう少しやらせろって。そうだセシルもやってみるか?」 「えっいいのかい?」 正直に言いますと、カインの手元を見ているうちに僕もチーズを削ってみたくなったのです。 喜んでチーズとグレーターを受け取った僕はフライパンの前に立つと、カインと同じように手を動かし始めました。 「わあ、面白い」 「だろ?」 その後は代わりばんこでチーズを削っていきました。右手を上下するたび小気味よく削れていくのが楽しくて、本来の目的を見失った僕達は夢中でチーズを削りました。リゾットはどんどん重たく固くなっていきます。しかしそれを知らせる第三者はいなかったのです。 気付いたのは、両手でやっと包み込めるほどもあったパルミジャーノが小指サイズにまで小さくなってからでした。我に返った僕達は真っ青になり、慌ててフライパンを見下ろしました。 ……もはやリゾットというよりは、チーズの塊にライスがくっついたような代物になっていました。 「お前のせいだぞ!」 「カインだって夢中だったじゃないか!」 一通りの言い合いを済ませた僕達は、改めて途方に暮れてしまいました。 町の南西には共同のゴミ置き場があります。僕とカインは失敗作の入ったフライパンを手にそこに向かいました。ひっくり返すと、チーズの塊が鈍い音を立ててゴミの山に落ちました。どちらからともなく嘆息が漏れました。 不意に背後から、稲妻のような怒声が僕達の脳天に落ちました。 「こらっ!何やってんだいあんた達!」 思わず肩がびくりと揺れ、恐る恐る振り返ります。恰幅の良い見たことのないおばさんが、手を腰に当てて僕達を睨んでいました。 「食べ物を粗末にしちゃダメじゃないか!だいたいね、生ゴミはちゃんと袋に入れてから捨てるんだよ!」 「ご、ごめんなさい……」 後に知ったことですが、ゴミの出し方にも色々種類があるそうなのです。そんなことも知らなかった自分達はひどく世間知らずだったのだということを実感し、恥じ入るばかりです。 おばさんは僕達の捨てたものを覗き込むと、勿体ないねえと嘆くように呟き、再び僕達の方を振り向きました。ライスがまとわりついたチーズの塊を指差し、何を作ろうとしていたのかを問われ、初めて会ったおばさんに、僕は経緯の全てを話しました。 初めは怖い顔をしていたおばさんが、理由を話すうちに苦笑いの表情に変化していくのが分かりました。話し終えると、彼女はフライパンを取り上げ、僕とカインの頭をそれで軽く叩きました。 「バカだねえ。女の子にいい格好したいのは分かるけどさ、あんたらにリゾットはまだ早いよ。もっと簡単で、とびきり美味い料理をおばさんが教えてやるよ」 おばさんはファブールの人らしく、バロンに嫁いだ妹さんの家に、最近ご結婚された旦那さんと一緒に泊まりに来られたそうです。お家にお邪魔すると、厳つく逞しいモンク僧のおじさんが奥の座敷で瞑想をしていました。きっとあの人がおばさんの旦那さんなのでしょう。妹さん夫婦はいま買い出しに出かけているそうです。恥ずかしいぐらいラブラブで新婚気分がいつまでも抜けやしない、とおばさんが呆れたように言いましたが、それがどういうことなのか、僕にはよく分かりませんでした。 僕達を椅子に座らせ、おばさんはライスを土の鍋で炊き始めました。彼女によると、ファブールでもライスは主食のようです。 ファブールはエブラーナと古くから親交があります。かつてのファブール地方は雪と氷に覆われた大地で、人が住めるような環境ではありませんでした。しかし世界の人口増加と共に地球温暖化が進み、土を固く覆っていた氷が溶けたのをきっかけに、遠く離れたエブラーナから修行中の者達がファブールに出向くようになったのです。つまり、ファブール人の祖先はエブラーナ人なのです。修行場所にファブールを選んだのは、全くの未開発の土地だったことが一番の理由でした。何一つない更地だからこそ、精神と肉体を鍛えるには絶好の地だったのでしょう。 やがて今度はエブラーナをとりまく環境が大きく変わります。海底のプレートの動きが活発化し、エブラーナ地方を囲む大陸棚には無数の礁が隆起しました。礁があっては船を出すことも送ることも出来ません。結果、エブラーナは大きな孤島となったのです。 ファブールに修行に行った人々は、エブラーナに帰れないことを知り、いつか祖国に帰れますように、という願いを込めて各地に寺院を造りました。それらを集約する大きな寺院が現在のファブール国の原型です。 長き時を経て、ファブールではエブラーナとは異なる独自の文化を築き上げて行きました。武道に於いても、忍術から純粋な体術へと移行され、自分達をモンクと名乗るようになったのです。鎖国同然だったエブラーナもまた、バロンによって運河が開通したのをきっかけに、他国との交流を開始しました。とりわけ深い親交を持ったのがファブールでした。当然です、エブラーナとファブールは祖先が同じなのですから。両国ともライスを主食にしているのも頷けます。 「さあ炊けたよ。手ェ綺麗に洗ってきな」 手を洗い終えた僕達を待っていたのは、ボウルに入ったライスと、長方形の黒い紙のようなものが沢山重なった山でした。 おばさんはライスにお塩を振りかけ、一つ一つの粒を崩さないよう器用に混ぜていきます。そして、適当にライスの塊を掬いあげると、急な角度に折り曲げた左手の上に乗せ、山の形を作った右手でぎゅっと握り、ころころ回しながら何度か同じようにライスを握り締めていきました。 程なくしてお皿に乗せられたのは、魔法を唱えたのだろうかと思うほど綺麗な三角形の形に握られたライスでした。黒い紙のようなものは、“ノリ”と呼ばれる海藻の一種だそうです。三角のライスにノリを巻き、おばさんは言いました。 「ほら、おにぎりのできあがりだよ」 「おにぎり?」 「そう、おにぎり。美味そうだろ?食べてごらん」 「はい。ではスプーンかフォークを……」 「違う違う、これは素手で食べるんだよ」 僕達は目を合わせ、まずカインが手に取りおにぎりをかじりました。無言のまま咀嚼し、飲み込むと、カインにしては珍しく素直に、いや、自然に湧き上がった言葉だったのでしょう、「美味い」と呟いたのです。 食べかけのおにぎりを手渡され、僕も続けてかじってみました。 「美味しい……!」 おにぎりにはライスの優しい味がぎゅっと凝縮されていました。塩を入れて、ノリを巻いただけなのになぜこんなにも美味しいのでしょう。おばさんは目を細めて笑い、僕達に作ってみるよう促しました。確かにおにぎりなら、僕達でもなんとか作れる気がします。 差し出した手のひらの上にライスの塊を乗せられ、あまりの熱さに思わず落としそうになりました。おばさんの見よう見まねで手を折り曲げ、ライスを両手で握り締めるとそれは歪に変形しました。力が強すぎたのかと思い、今度はそっと握ります。しかし何度やってもおばさんが作ったような三角形が作れません。僕もカインも、手の皮が焼けそうな熱さと、思うとおりの形になってくれない頑固なライスに奮闘しました。 最終的に出来上がったそれは三角形と呼ぶには程遠く、どちらかと言えばただの球体に近かったです。 しかしおばさんはにこりと笑うと、「頑張ったね」とねぎらって下さいました。 「形は歪でも、愛情が詰まってれば絶品なのさ」 おばさんはそう言い、自分の作ったおにぎりを小皿に載せると奥で瞑想中の旦那さんに持っていきました。 「おお、すまんなシーラ」 旦那さんは手を合わせて一礼し、僕達に気付いたのか、こちらに向かって会釈した後おにぎりを頬張りました。うまい、と言っておにぎりを食べる旦那さんはとても幸せな顔をしています。あのおにぎりには、おばさんの旦那さんへの愛情が詰まっているのだなと思いました。 おばさんの妹さん夫婦の家を辞去した僕達はその足でローザの家に向かいました。彼女が作るような豪華な料理ではないけれど、どうか喜んでくれますように……。 ローザの家に着くと、おばさんが僕達を出迎えて下さいました。相変わらず部屋から出てこないのだと、額に手を寄せておばさんはため息をつきました。ローザの寝室のドアをノックすると、こちらがドアを開ける前に中から彼女が出てきました。 「いらっしゃい、二人とも……」 「ローザ、外に出よう」 「えっ?」 「いいから早く!」 僕達はローザを半ば強引に外に連れ出しました。 シーラさんによれば、おにぎりというものは外で食べるのが一番なのだそうです。 昨日相談会を開いた湖畔に、僕達は並んで腰掛けました。訝しい顔を浮かべるローザに、今日はプレゼントがあると言って先ほどの包みを差し出しました。 「何?」 「俺達からのプレゼント。開けてみろよ」 カインに促され、ローザは包みを開きました。歪な二つのおにぎりを見て、僕達の顔を見上げます。 「これは……?」 「“おにぎり”っていうライス料理だよ。ごめんね、本当はもっときれいな三角形なんだけど……」 「こっちのまともな形した方は俺が握ったんだ。セシルよりうまいだろ」 「あ、おにぎりって……昔読んだ世界の料理本に載ってたわ。たしかエブラーナやファブールの家庭料理って……」 「さすが料理好きのローザだ。ねえ、食べてみてよ。手掴みで食べるんだって」 こくんと頷き、ローザはおにぎりを手に取り小さな口でそれを品良くかじりました。食べるなり、昨日からずっと入っていた眉間の皺が消え、ローザの顔がぱあっと明るく華やぎました。しかし、しばらくすると彼女は俯き、肩を小刻みに震わせたのです。 「……世界一美味しい……ありがとう……」 滅多に泣かないローザが、大粒の涙を零しながら、何度も何度も、ありがとうと時折しゃくりあげながら呟いていました。僕達の、お世辞にも美味そうとは言えないおにぎりを、世界一美味しいと言ってくれた。こちらこそ、いつもありがとうローザ。 「もう大丈夫……?涙止まった?」 「ええ。それにね、悲しいから泣いたんじゃないの、嬉しいから泣いたのよ。おにぎり、本当に美味しかったの」 泣き止んだローザの顔は、すっかりいつもの元気なローザのものでした。 「私にはセシルとカインがいるもの。もう平気よ」 ローザは僕達の頬にキスして、ありがとうと満面の笑みを浮かべました。 「今度おにぎりの作り方……教えてくれる?」 僕とカインは顔を見合わせ、声を揃えて言いました。 「もちろん!」 fin 戻る |
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