大人の事情




 最近、カインの様子がおかしいです。
 僕に意地悪するのは以前と全く変わりませんが、何処かそわそわすることが多くなりました。
 顕著なのは夜です。彼は夜になるとしょっちゅう僕の部屋に来ては様々な話を聞かせてくれました。リチャードさんの飛竜に初めて触れた時の話や、諸外国の情勢、誰が誰を好いているとか、バロン城下町を走る様々な噂だったり。普段はお城で生活している僕にとってカインの話は新鮮で面白く、彼のちょっと高飛車な物言いで語られる話を聞くのが大好きでした。
 しかし最近はというと、滅多に僕の部屋を訪ねてくれなくなったのです。また、僕が彼の家を訪ねてもいいかと問えば、別にいいけど勝手に部屋に入って来るなよと念を押すように言われました。一体彼に何があったのでしょうか……。
 学校帰り、僕は意を決してカインにその真を尋ねました。しかし彼は言葉を濁しまともに答えようとはしてくれません。それでも僕がしつこく問いただすと、カインは顔を真っ赤にして怒り出してしまったのです。
「しつこいぞセシル!ガキには分からないことなんだよ!」
「ガキって、一歳しか変わらないじゃないか」
「うるさい!」
 カインにゲンコツで頭を殴られ、僕はあまりの痛さに頭を抱えしゃがみこんでしまいました。生理的な涙を流す僕を見て、カインは自業自得だ!と言い捨て走り去って行きました。いつになくムキになって怒るカインはますます怪しく思えてきます。一体彼は何を秘密にしているのでしょうか。隠されればいっそう知りたい欲求は高まるばかりです。
 僕の通うバロン兵学校ではクラス毎に朝礼を行います。バロン王国に古くから伝わる敬礼が終わると、先生はクラス全員に小さな魔法の瓶を配りました。
「その中身は“南極の風”だ。最近、町の各地で露出狂の変質者が出没しているのは知っているな?12〜15歳ぐらいの年の女の子が多数被害に遭っている。君達は男だからまず被害に遭う心配はないだろうが、万が一不審者を目撃した場合は、この南極の風を足元に投げろ。そうすればしばらく相手は身動きが取れなくなるから、その間に大人を呼ぶんだ。ゆくゆくは兵士となる君達が臆病風に吹かれ見て見ぬ振りをするなどという愚行を犯すことはないと、私は信じている。以上だ」
 魔法の瓶の蓋には全て古代ミシディア文字が彫られています。僕には読めませんが、これはきっと“南極の風”と彫られているのでしょう。
 授業が終わり、皆でクラスルームの掃除をしている時でした。クラスの中でも目立って活発な生徒達が、今朝先生が仰っていた露出狂の変質者について、クラス中に聞こえるぐらいの大きな声で雑談を始めたのです。見事捕まえれば町中の女の子に騒がれるとか、報奨金が貰えるとか、誰が捕まえられるか競争だ、とか。
 そんな中、一人の生徒が僕の名前を呼び、揶揄の表情を浮かべながら言いました。
「セシル、お前は露出狂に気をつけろよ。なにせ“セシルちゃん”だからな」
「ぎゃはは、セシルちゃーん」
 周りも囃したてるように、僕に向かってセシルちゃんと連呼します。以前から、僕は事ある毎に女の子のようだとからかわれてはセシルちゃんと呼ばれていました。正直に言えば、あまりいい気分ではありません。男か確かめてやると言ってズボンを下げられた時ばかりは、涙が出そうになるほどの屈辱でした。僕は喧嘩をすればおそらく彼らに勝つだろうと思います。何故なら、年上のカインとの喧嘩で鍛えられているからです。
 しかし、せっかくのクラスメートなのだし、余計な波風を立てたくはなかったので、僕はそうだねとだけ言い、床を箒で掃く作業を再開しました。
 学校からの帰り道、僕はどこか胸に嫌な気持ちを抱えながら町を流れる川に沿って歩いていました。俯き気味だった顔をふと上げると、つい先ほど僕をからかった生徒達の集団を前方の視界に捕らえ、僕は反射的に、近くの路地裏に身を隠すようにして入りました。嫌なことは嫌だと面と向かってはっきり言えない自分がとても情けなくて、僕は大きくため息をつきました。幼なじみのカインになら何だって言えるのに。僕はなんて臆病者なんだろう……。
 連中が過ぎ去るのを見届けほっと一息ついた時、不意に自分の後ろに人の気配を感じました。何だろう、そう思って振り返った僕のお腹に、鈍痛が走ったのです。お腹にめり込んだ拳の感覚を実感した瞬間、急に視界がぼやけてきました。膝を落とし地面にうずくまった僕の頭上で、荒い呼吸音を聞きました。そこで意識は途切れました。
 


***



 目を覚ました時、僕は両手首を後ろ手に縛られた状態で、どこかの茂みにうつ伏せに寝かされていました。ぼんやり定まらない視界を泳がせ、やがて焦点が合った時、目の前には大きな男の人がいました。年は30代か、もしくは40代か。
 幼い頃バロンの落城を目論む反乱組織に誘拐されかけたことがあったので、僕の脳裏に真っ先に浮かんだのはこの男が組織の一員ではないかという疑念でした。僕がここで捕まれば、陛下に、いやバロン王国全体に迷惑を掛けてしまう――!握り締めた拳にじわりと汗が滲みました。
 男は半笑いで僕の体を起こすとダガーを取り出し、眼前に刃先を突きつけてきました。反射的に顔を横に背けると、何が面白いのか男はくくっと含み笑いを零しました。
「安心しなよ。命は取らないよお嬢ちゃん」
「えっ!?」
 状況も忘れ、僕は思わず素っ頓狂な声を上げました。待って、お嬢ちゃんって、僕は……
「お嬢ちゃんはおじさんに暫く付き合ってくれるだけでいいんだよ。ただ……抵抗するようなら殺しちゃうかもしれないから気をつけてね?」
「あの、ちが」
「――黙って見てろ。声出したら殺すぞ」
 男の口調が急に変わり、僕の背筋に冷ややかな緊張が走りました。組織の一員ではないようだし、下手に刺激するのは得策ではないと判断した僕は言われた通り口を紡ぎ、かわりに頷いて意志表示してみせました。何をするのかは皆目見当がつきませんが、彼の“命は取らない”の言葉を今は信じるほかありません。
 男は膝下まである長いポンチョを纏っていました。屈んで裾を持つと、なんとそれを僕に見せ付けるように徐々にたくし上げ始めたのです。男は下半身に何も履いていないようでした。毛むくじゃらの脹ら脛、ごつごつした太ももが露出し、更に裾をたくし上げた男は、ことさら緩慢とした動きで自身の急所を外気にさらけ出しました。
 僕は漸く、目の前の男が今朝まさに先生が仰っていた露出狂の変質者だと気付きました。僕をお嬢ちゃんと呼んだことを考えると、この変質者は僕を女の子だと勘違いして行為に及んでいるのでしょう。息を荒くした男が下半身を晒したままこちらににじり寄ってきます。しきりに「大きい?ねえ大きい?」などと聞いてくるのが気持ち悪くて、僕は訳も分からずかぶりを振り続けました。誰もいない何処なのかも分からない薄暗い茂みの中で、こんな変質者とたった二人きりなんて。恐ろしい戦慄が走り抜け、指先が小刻みに震えました。
「いやあ、君は今まで見たどんな女の子よりも別嬪だね。なんだかおじさんいつもより興奮してきちゃったな……」
 僕は女の子じゃない――たったその一言が恐怖のあまり声にならないもどかしさ。情けなくも足がガクガク震え始め、その場に立っているのがやっとという状態でした。男の言動はあまりに常軌を逸していたのです。
「いいかい?じっとしたままちゃんとここを見てるんだよ」
 男は徐に急所を握り締めると、上下に手を動かし始めました。ここはトイレではないのに、何であんなところを触っているのか僕には理解出来ません。ただ、風下にいたためか時折嫌な臭いが鼻孔を突き、その行為を見ているのは苦痛で仕方ありませんでした。男がはあはあと息を荒げ、そこを手のひら擦るうち、先端から透明の液体が溢れ出てくるのが分かりました。彼がおしっこをしたのかと思い、僕は無意識に足を一歩後ろに退いてしまいました。すると男は狂ったように怒鳴り、僕の顎を掴み上げたのです。
「じっとしてろって言ったよね。何で勝手に動いてるの……?おじさんを怒らせたいの?」
「ご、ご、ごめ……なさ……」
「許さない。……でもお嬢ちゃんがおじさんのここをお口でしてくれるなら、許してあげてもいいよ」
 あまりに理不尽で、一方的なことを言われているという思いは確かにありました。しかし、肝心の口でするという意味は分かりませんが、今の僕には要求を飲む以外に選択肢がなかったのです。
「いい子だ。お嬢ちゃんみたいに素直な子は好きだよ。早速してもらおうかな」
 男は急所から手を離すと、それを僕の前に突き出してました。今までは男の手が握られていたため分かりませんでしたが、最初の状態とは大きく変化していることに気付きました。
 何で……こんなに膨らんでいるんだろう……何で……こんなに上を向いているんだろう…?
 僕にも同じものがついている筈なのに、全くの別物に見えました。もしかしたらこの男はモンスターと一体化した亜人間なのかもしれない、そう考えると尚更気味が悪く恐しくなりました。
「早くしろって」
 そう言われても何をすればいいのかが分かりません。僕が逡巡していると、それを察したのか男が笑いながら言いました。
「ああ、知らないのか。やっぱりこの年代の女の子はウブでいいなァ。じゃあおじさんの言う通りにするんだよ?まずこの先っぽを舐めてごらん」
 透明の液が零れたぬめった先端を指差し事も無げに言い放った男の言葉は、噛み砕いて理解するまでに少しの時間を要しました。この男は僕に、自身の排泄器官を舐めろと言うのです。そんなこと、いくらなんでも出来るはずがありません。しかし、それをやらないと殺される……。
 暫く頭の中で葛藤を繰り返していましたが、じれったく感じたのか、男は僕の髪の毛を鷲掴んで早くしろと急かしてきました。それが決定打でした。
 僕は躊躇いがちに舌を出し、目をぐっと瞑って先端を舐めました。すると、俄かに後頭部を抱えられ、僕の口に男のそれが無理やり押し入ってきたのです。
「んんッ!」
 頭を前後に激しく揺すられ、ぬるぬるした別の生き物が口の中で蠢いています。
 とめどなく喉に流れ込んでくる生臭い粘液を押し戻そうとすればするほど息苦しく、ぐちゅぐちゅと不快な水音が耳の奥にまで響き渡り、怖くて、気持ち悪くて、僕はいつの間にか泣いていました。
「ん、うんんッ」
 両手を後ろで縛られているので体勢が非常に不安定で、皮肉にも男の股間に顔を埋めることでバランスを保っていました。
 一体いつになればこの責め苦から解放されるんだろう――僕の口を便器に見立てて、排泄するつもりなんだろうか――?
 感覚が麻痺してきた頭で、まるで他人事のようにそんなことをぼんやりと考えました。何度も何度も打ちつけるように男のそれが出入りを繰り返すうち、だんだん吐き気がこみ上げてきます。頭上を見やれば、男は恍惚とした顔で狂ったように僕の頭を揺すっていました。
 そして獣のような呻き声を上げたかと思うと、男は僕の口からそれを引き抜き、先端を額や頬に擦り付けながら何やら白濁した液体を勢い良く出し始めたのです。
「やっ……やめて……!」
 いっぺんに色んなことが起こりすぎて、一瞬、頭が真っ白になりました。気づけば夢中で男から逃げていました。変な液体を顔中に掛けられたのは、きっと呪いの類なのだと思います。
 これ以上男の好き勝手にさせていれば、死以上に恐ろしいことが起きる気がして、僕は必死に走りました。しかし両手が使えないというのは想像以上に走りにくく、後ろから男が何かを叫びながら追いかけてくる焦りもあって、足がもつれた僕は地面に滑り込むようにして転んでしまって。すぐさま起き上がろうとした僕の上に、興奮した様子の男が跨ってきたのです。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……」
「……!?」
「もういい……最後までやってやる……」
 ブツブツ独りごちる男が何を言ってるのか聞き取れません。ダガーを取り出した男を見て、ああ、僕はここで殺されるのか――と、恐怖が頂点に達した僕の中に諦念が生まれました。
 しかし男の取った行動は僕にとっては全く予想外のことでした。
 なんと男は、僕の着ていた衣服をダガーの刃で切り裂いていったのです。腕や肩や背中が大きく露出し、ズボンさえ無理やり引き裂かれていきました。不意にお尻が外気に触れたのを感じて羞恥に体が縮こまり、頂点を越えたはずの恐怖が再び全身を襲います。
 やがてうつ伏せだった体をひっくり返された時、男が信じられないものを見たような目で僕の下半身を凝視したのが分かりました。
「……なん……だと……?」
「あっ……!」
 そうだ、今まで忘れてたけど……この男は僕を女の子だと勘違いして……。男がダガーを高く振り上げ、目一杯振り下ろしてきたので僕はとっさに体を捻り自分の身を守りました。たまたま両手を縛っていた縄に突き刺さったおかげで拘束が解け、両手が自由になった僕は、最早衣服として意味を為していない破れたズボンのポケットを漁りました。
「ふざけるな……男だと……?ちくしょう……騙しやがって!」
 僕は騙してなんかいません。女の子だと勘違いしたのは男の勝手なのですから。
 しかしそんな論理が通じる相手ではないのは百も承知で、僕は手の中にあるものの感触を確かめながら男の動向に全ての神経を集中させました。心臓が早鐘を打ち、体中が震えています。
 怯えちゃ駄目だ、しっかりしなくちゃいけないんだ……!そう自分で自分を奮い立たせます。やっと訪れた最初で最後のチャンスなのです。
 これを逃せば確実に殺される。身よりのない僕を引き取り育てて下さった陛下にも、時には喧嘩もするけれど唯一無二の親友であるカインにも、優しくてしっかり者で年下なのにお姉さんみたいなローザにも、二度と会えなくなる。
 そんなの、絶対に嫌だ!
「ガキだろうと男は大嫌いなんだよ!死ねっクソガキ!」
 僕をお嬢ちゃんからクソガキに格下げした男はダガーを後ろに引いて構えました。今、後ろの手の中に隠しているのは、南極の風の小瓶です。男が手を振り上げ、意識がそちらに集中したその瞬間(とき)でした。僕は小瓶を握り締め、男の足元目掛けて力一杯投げつけました。
 瓶が割れるや否や、大きな氷塊が男の両足を包み込んでいきました。僕は地面を転がり投げられたダガーを僅差で避けながら起きあがると、ストンと地面に落ちたズボンもそのままにして一目散にその場から逃げ出しました。
 後ろから男が何かを叫んでいるのが聞こえましたが、兎に角今は町に帰るのが先決です。男に出された変な液と涙と土が混ざり合った顔に髪の毛が張り付き、それを振り払いながら、日の沈む方角とは反対に向かって走りました。整備が進むバロンの東側には、何の手入れもされていない茂みがあるとは考え難かったからです。
 町の明かりが見えてきました。生きて帰ってこれたのだという安堵に包まれ、僕はその場にしゃがみ込んでしまいました。
「おい!セシル!」
 聞き慣れた声がだんだん近付いてきます。見上げると、ものすごい形相のカインがいました。
「カイン……」
「どうしたんだよお前……!城にもいないし町のどこ探してもいないから時計塔の上からジャンプしてみたら、お前がよろよろ走ってるのが見えたんだ」
「あの……ろしゅつ……きょうが……あっちの茂みに……」
「露出狂って……最近よく噂になってる奴か……?」
「はやく、大人のひとに……ひらへて…」
 もう自分でも何を言っているのか分からなくなってきました。
 カインは分かったとだけ言い頷くと、着ていた上着を脱いで僕にかけてくれました。肩を借りながら覚束ない足取りでなんとかバロンに戻り、彼の家に向かいます。ローザの家の方が近くないかと尋ねると、女のローザに今のお前を見せられるかと言われました。
「俺は巡回兵に連絡してくる。お前はシャワー浴びて待ってろ。いいな」
 カインの頼もしさに涙が出そうになりました。僕は言われた通りシャワーで汚れた体を洗い流し、特に、口の中と顔を何度も何度も洗いました。転んだ時についた傷が少ししみますが、痛いのは生きてる証拠だと思えば何てことありません。
 帰宅したカインが、バスルームの扉を開き服を着たまま入ってきました。唐突だったので少し驚きましたが、カインがシャワーヘッドを奪い取り、僕の頭や体を洗い始めたので、彼にされるがまま、僕はじっとしていました。以前にも、僕が上級生に苛められ怪我をした時、泥んこの体をカインが洗ってくれたことがありました。そして言うのです。
「すまん。お前を……守ってやれなかった」
「そんなことないよ。それに僕こそ、君やローザを守りたいって思ってるのに」
「ガキのくせにか?」
「一歳しか違わないじゃないか」
 久しぶりにカインの部屋に通され、濡れた髪の毛をタオルで拭き取りながら、僕は今日の出来事を全てカインに話しました。
 後ろから男に襲われ、見知らぬ茂みに連れて行かれたこと。男は自分を女の子だと勘違いし、露出行為に及んだこと。男が自分の急所をいじり始めたこと。しまいにはそれを僕の口に押し込み、変な白い液を顔中にかけられたこと。服を脱がされ男だと分かった途端殺されそうになったこと。南極の風で男の足を凍らせ命からがら逃げ出したこと――。
 僕が話すうち、カインの顔が曇っていくのが分かりました。
 急所が膨らんだり、変な白い液を分泌したことから察するにおそらくあの露出狂は亜人間なのだろうと説明すると、彼は大袈裟に肩をすくめ、僕の前ににじりよると両二の腕を強く掴んできたのです。
「……お前……本当にわからないのか?」
「えっ……何が?」
「そいつは亜人間なんかじゃない。変態だけどただの人間だぜ」
「そうなの?でも、おしっこするところから変な」
「セシル!……いいか、お前その話ローザには絶対するなよ。いいな」
「分かってるよ。女の子に間違われたなんてカッコ悪いしね」
「違う、そうじゃない」
「?」
「……やっぱりお前はガキだ」
「何が?教えてよカイン。ねえったら!」
 結局、カインは何も答えてはくれませんでした。どうしてそんなに僕を子供扱いするのだろう……何かおかしなことでも言ったのでしょうか。
 翌日、僕は全校生徒の前で表彰状を頂きました。
「町を騒がしていた犯罪者に勇敢に立ち向かい、教えに従い南極の風を使って見事男の身柄を拘束したその功績を讃え、セシル・ハーヴィに惜しみない拍手を!」
 少し事実とは異なるので複雑でしたが、いつも僕をからかってきた例の連中が、その日からはついの一度も絡んでくることが無くなりました。
 しかし僕は未だに分からないことがあるのです。
 カインは男をただの人間だと言いましたが、僕にはそれがどうしても納得がいきません。今夜は陛下が他国の視察からお戻りになるので、昨日の出来事を一から説明した上で、伺ってみようと思います。そして、もし亜人間じゃないのならあの現象は何だったのか知りたいのです。
 僕は陛下のご帰還を城門前で待ちました。月が天頂を過ぎた夜更けにバロンにお帰りになられた陛下は、僕を見るなり笑顔で駆け寄り、頭を撫でて下さいました。
「おおセシル。待っていてくれたのか」
「お帰りなさいませ。陛下が発たれてから半年もの間、長らくお会いしとうございました」
「私もだ。しかししばらく会わないうちに大きくなったな」
「ありがとうございます。……実は、お疲れの所申し訳ありませんが、どうしても陛下にお尋ねしたいことがあるのです」
「ははは、何でも聞きなさい。では、続きは後で聞こう」
 正式な養子ではない僕をまるで我が子のように扱い、慈しんで下さる陛下。
 かつてのバロンには厳しい身分制度があり、貴族と平民の間には大きな隔たりがありました。やがて抑圧された人々による一揆が勃発し、もはや革命の一歩手前という荒廃しきったバロンの状態を憂いた現在のバロン王のお父上に当たる方が、ご自分の即位とともに身分制度の一切を廃止しました。恒久だと思われていた様々な特権を取り上げられ中には反感を抱く者もいましたが、殖産興業の一環として旧貴族には一部の国営工業を優先的に分け与えることにより、反発を防いだのです。
 陛下はそんな前代王以上に身分にこだわらないお方で、本来なら僕などが気軽に入っていい場所ではないのに、たびたび寝室にお呼び下さっては様々な寝物語を聞かせて下さるのでした。そして今もまた、寝室に通された僕は、ベッドサイドのテーブルに陛下と向かい合って座っています。
 熱い紅茶に息をフーフー吹きかけ、音を立てながらすする様はとても国王様とは思えない仕草で、皆には内緒だぞと人差し指を口にあてる陛下。思わず顔が綻び僕が笑うと、陛下も目尻に皺を作って笑っていました。暫くそうやって他愛のない会話を交わしていましたが、
「して、尋ねたいこととは何なのだ?セシルよ」
 そう陛下がおっしゃったのをきっかけに、僕は本題に入ったのです。
「陛下、実は……」



 ……結果から申しますと、またも教えて頂くことは出来ませんでした。
 陛下は話の途中から何度となく紅茶を咳き込み、果てはカップを床に落として割ってしまったのです。亜人間の根拠となるあの現象について詳しく説明しようとすると、陛下は僕の口に手をあてがい首を横に振るのです。そして僕を優しく抱き締め、怖い思いをしたのだなと頭を撫でて頂くうちに段々眠くなってきてしまい、陛下に抱えられベッドに寝かされる頃にはほとんど夢現でした。今思えば……陛下の手からスリプル草の香りがしたような気がします。
 朝、目を覚ました僕の隣に陛下の姿はなく、サイドテーブルの上には「お前はまだ子供なので知る必要はない。昨日のことは忘れなさい。へいかより^▽^」と書かれた紙が置かれていました。

 どうしてみんな僕を子供扱いするのでしょう。僕はただ、真実を知りたいだけなのに。
「次は物知りなベイガンに尋ねてみよう……」
 僕はそう独りごち、早速、彼のいる近衛兵宿舎に向かいました。





fin




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