懸想


 カインの部屋から出たセシルはそのまま自室に帰る気分にもなれず、ガーデンの中央広場にある空いたベンチに腰掛けた。一番人通りの多いこの場所では多数の生徒が行き来している。ざわめきをBGMに人の流れをぼんやりと眺めていると、隣のベンチに2人の男子生徒が腰掛けてきた。そのうちの1人が、もう1人の生徒の肩を叩きながら言った。
「元気出せよニーダ。あの子もはずみで言っただけだって」
「そうかなあ……だといいけど……」
 頭をうなだれ、深々とため息をついている生徒の名前はニーダというらしい。何とはなしに2人の会話を聞いていると、どうやらニーダは好きな女の子にキスを拒まれたようで、そのことで悩んでいるのだと分かった。彼を酷く落ち込ませている主な原因は、その子から言われた言葉だ。あんた、キスできれば誰でもいいんでしょ――そう言われ、頬をひっぱたかれたようだった。
 ニーダは突然唸るような声を上げ、頭をかき乱し地団太を踏んだ。彼女は何も分かっていない、自分はそんな軽い気持ちで誰彼かまわずキスなんてしないのにと、理解してくれない女の子に対する歯痒い気持ちを、隣の友人にぶつけていた。
 セシルは席を立った。彼らの会話を勝手に聞いていることに対する遠慮もあったが、それ以上に、ニーダの姿が何処となくカインとだぶって見えたのだ。
 部屋に戻るとフリオニールが筋肉トレーニングに励んでいた。セシルは冷蔵庫からスポーツ飲料の入ったボトルを取り出し、彼の頭先にタオルと一緒に置いてやった。いつにも増して熱心にトレーニングに打ち込んでいる姿を見て、その場にしゃがみ込み、何かあったのかと尋ねてみる。フリオニールは腹筋中の体を起こし、汗だくの顔をタオルで拭きながら言った。
「いや……もっと背を伸ばしたくてさ」
「十分じゃないか。何をそんなに焦ってるの?」
「セシルより0.4センチ小さい。……カインには、5.4センチもだ」
 フリオニールの口から思いがけなく出たカインという単語に、セシルは些か動揺した。努めて笑顔を作り、膝をついて立ち上がる。
「そうか、頑張ってね。でもフリオニール、極端な筋肉トレーニングだとかえって身長は伸びないんじゃないかな」
 その言葉を聞き固まった彼を後目に、眠いからちょっと休むね、と言い残してセシルはベッドに寝転がった。
 薄い群青色の天井を見上げ、カインが怒った原因は何だろう、と改めて考えてみる。やはり、自分の発したあの言葉が原因だろうか。俺は誰彼構わずキスなんてしないのに――先ほどのニーダの台詞を思い出す。誰とでもああいう行為をするように思われたことがカインの怒りの原因ならば、逆に言えば彼は自分としか行為をしないということになる。そう思うと、益々頭が混乱した。
 自分自身はどうなのだろう。今まで自分については不思議と考えたことがなかったが、例えば、見ず知らずの人とキスしたり、それ以上のことをしたり、気持ちいいからという理由だけで出来るだろうか。その答えはすぐに出た。そんなこと絶対に出来ない、とセシルは思った。ゴルベーザに体を引っ付けて眠るのも、彼にだからそうしたいのだ。触れ合うという行為はそれ自体が愛情表現なのだと、自分に置き換えてみて初めて分かった。
 カインがどういう類の感情を以てあのような行為を自分としていたのかは分からないが、彼を傷付けてしまったことだけは確かだ。とにかく一刻も早く謝って、自分の誤解だったと伝えなくては。セシルは起きあがると、バスルームでシャワー中のフリオニールにドアの外から声を掛けた。
「フリオニール、僕ちょっと用事があるから」
「えっ、今日はゴルベーザの所に行く日じゃないだろ?」
「……ごめん!急ぐから!」
 部屋を飛び出し、南ブロックの寮に駆けた。カインの部屋の前に着き、荒い呼吸のままノックをする。程なくして、中からカインが姿を見せた。セシルの顔を見るなりドアを閉めようとしたのでそれを素早く手で抑える。話があるんだ、と途切れ途切れに伝えると、カインは無言でセシルを部屋に招き入れた。
「何だ、話って」
 寝室のベッドに腰掛け、カインが不機嫌な口調で言う。セシルは彼の隣に立ち、頭を下げた。
「すまない。さっきの言葉は取り消すよ」
「……何のことだか」
「考えてみたんだ。カインとしたことを、他の人ともできるかって。……絶対に、出来ない。お前も、そうなんだよな」
 カインが顔を振り仰ぐ。いつまでも頭を下げたままのセシルを見やり、立ち上がると、両の肩に手を置いた。
「……もういい。俺も言い過ぎた。悪かったな」
「怒ってないのか?」
「さっきは心底ムカついた。しかし、そういうことなら許してやってもいい」
「そうか……良かった。ありがとう、カイン」
「セシル……」
 カインの手が頬に触れる。突然唇が迫ってきたのを見て、セシルは慌てて彼の体を突き飛ばした。ベッドに尻餅ついたカインが恨めしげに睨んでくる。さっき言ったことと違うだろと抗議され、セシルはえっ、と首を傾げた。
「……何が?」
「だから、お前も俺以外の奴とは出来ないってやっと分かったんだろ。それはつまり、俺とはしたいってことじゃないのか」
「そんなこと言ってないだろ!確かにカインとするのは嫌じゃなかった。他の人とは嫌だ。でも僕達は恋人でもあるまいし、変なことはしちゃ駄目だろ」
「あのなあ、お前……」
 カインは額に手をあてがい、ふう、と深くため息をついた。気持ちを分かってくれたようで未だ分かっていない幼なじみに、どうやって説明しようかと頭の中で思考を巡らす。しかし答えは浮かばなかった。好きだとストレートに言った所で、“カインは好きだ、ゴルベーザ兄さんもフリオニールも、みんな好きだ”なんて言い出しかねない。
「ああ、もういい。とりあえず、もう怒ってないから……今日は帰れ」
「そうしたいのは山々なんだけど、時間が……」
「時間?」
 壁に掛かった時計を見上げる。針は12時3分を指していた。
「今出ていったら、校則違反なんだ。今夜は泊まらせてね」
「待てセシル。お前それがどういうことか分かってんのか?」
「いいじゃないか。僕達、親友なんだし」
「だから、俺はお前が――」
「シャワー借りるね。先に寝てていいよ」
 セシルはカインのクローゼットから適当な服を取り出し、タオルを持ってバスルームに行ってしまった。やがて聞こえてきたシャワー音にカインは机を蹴り飛ばした。親指が角に当たり、痛みに体をうずくまらせる。
 カインはベッドに潜り込んだ。誰とでもキスやそれ以上の行為をするのではない、お前とだから出来るのだと、それだけは分かってもらえたようだったが、どうも肝心な部分が伝わっていないらしい。それでも、セシルがほんの少しだけでも自分の気持ちを理解してくれたのだと、前向きに考えることは出来る。
 今日の所はとりあえずそれだけで我慢するか――そう自分自身をたしなめ、漸く気持ちが落ち着きかけた時だった。風呂上がりのセシルが、ベッドの中にもぞもぞと入ってきた。石鹸の香りを放ち、小さな声でおやすみカイン、と囁かれる。
 怒りを通り越して呆れてしまった。前々から思っていたが、セシルはデリカシーがなさすぎる。何故そんな残酷なことを平気でするのだ。本人には何の自覚もないのが尚更に質が悪い。暫く経ち、寝息が聞こえてきたのでカインはセシルの方に振り返った。呑気な寝顔を眺めながら、いっそこのまま力任せに襲ってやろうかとも考えたが、喧嘩をこじらせて距離を置かれるのは嫌だった。
「……好きだと、お前に分かって欲しいだけなんだがな」
 顔に掛かる銀糸の髪の束をかきあげ、額にそっとキスを落とす。セシルの肩が僅かに揺れたことに気付かないまま、カインはそっと目を閉じた。



***



 千年前に滅んだ幻の文明都市、ザナルカンド。一部の人間にとって、そこは今や幻ではなくなった。バラム北部の山脈の奥深くに、時空の歪みが生じた亜空間が存在する。
 亜空間への入り口だとされる青紫に淀んだ地面に向かってティーダが勢いよく飛び込んだ。セシル、フリオニール、そして無理やり連れてこられたクラウドも、彼に続けて次々と飛び込んでいく。眩い光が4人の体を包み込み、彼らをザナルカンドへと導いた。
「もう3回目になるけど、未だに信じられないなあ。本当にここが千年前の世界だなんて」
「俺だって、まさか千年後にザナルカンドが遺跡になってるなんてびっくりッスよ」
 フリーウェイと呼ばれる環状道路を4人並んで歩いていた。千年前の都市であるザナルカンドとバラムが繋がっていることは、SeeDと理事長のシャントット、ゴルベーザ、それにティーダと共にバラムにやってきたジェクト本人しか知らない。親子喧嘩の最中に2人揃って湖に落ち、目が覚めるとバラムの草原にいたらしい。
 それから5年の間はザナルカンドに帰る手だても見つからず、結局親子揃ってバラムガーデンに根を張った。その後、ザナルカンドに繋がる亜空間の存在を見つけたのだ。
 ティーダは将来的にはザナルカンドに帰りたいと言っているが、今はガーデンの生活を満喫しているようだった。それでも時々帰郷しては、現在は衰退したブリッツボールの試合に出る。所属チームのザナルカンド・エイブスのユニフォームが、彼の戦闘服でもあった。
 ティーダが試合に出る時は、SeeDの数人が必ず応援に向かう。9人で行くのはあまりに目立ち過ぎるのと、もともと全員が同じ時間に開いていることは少ないため、その時々に応じて行くメンバーは違っている。
「ちょっと早く来過ぎちゃったみたいッスねー。まだ会場の準備も終わってないのかあ」
「開いた時間で試合前に練習してきたらどうだ?」
「あ、それいい考え。クラウド、ちょっと付き合うッス!」
「おい、何で俺が……」
 クラウドの腕を引っ張り、ブリッツ会場の反対側にある広場に猛スピードで駆けて行くティーダを見送り、セシルとフリオニールは互いの顔を見合わせた。自分達はここでいいかと合意し、近くのベンチに腰掛ける。ガーデンとは比べものにならない人通りの量にいつもながら圧倒される。これだけ多くの人間がいる街で育ったティーダが、賑やかな性格に育つわけだ。
 恋人同士が寄り添いながら会場内に入って行くのを目で追いかけ、セシルは小さくため息をついた。隣に座るフリオニールの方に振り向き、ねえ、と彼に話し掛ける。
「フリオニールは好きな子とかいる?」
「な、何だよいきなり」
「ごめん、ちょっと聞いてみたくなってさ」
「えっ……と……分からないな……セシルは?」
「僕もよく、分からないや」
「何だよ、それ。……なあ、その質問って、昨日いきなり部屋を出て行ったことと関係あるのか?」
「えっ、特にないけど……どうして?」
「いや。何となく」
 フリオニールの勘の良さにどきりとした。やや声が上擦ったが、それ以上深くは追及して来なかったことに安堵する。セシルは昨夜のことを思い出した。まどろみ、眠りかけた時、カインが自分の頭先で囁いた言葉が蘇る。
 1時間後、ブリッツボールの試合が始まった。ティーダは現在臨時メンバーとしてチームに所属しているため、スタメン起用ではなくスーパーサブとして入ることが多い。1点ビハインドで迎えた後半、彼がスフィアプールと呼ばれる試合場の中に現れると、大きな歓声が会場全体から湧き上がった。親子共々、ブリッツの選手として絶大な人気を誇るティーダの実力は伊達ではなく、彼が入ったことにより一気に流れはザナルカンド・エイブスに傾いた。
 素早いパス回しで相手を翻弄し、一気にゴール前まで攻め込む。取り囲む三人の選手を次々とボールで蹴散らし、ティーダは高く舞い上がり、強烈な回転シュートをゴールに放った。キーパーは反応こそしたものの、目にも止まらぬ早さのボールにキャッチが到底間に合わなかった。試合開始早々にして同点に追いつき、一層大きくなった歓声に飲み込まれぬよう、フリオニールは声量を大きくして隣のセシルに話し掛けた。
「あのシュートさ、ジェクトシュートっていうんだよな。あいつ普段は親父なんて大嫌いだって言ってるけど、本当はすごく好きなんだと思う。嫌いな奴のシュートなんか覚えたりしないだろ」
「そうだね。ジェクトさんも内心は喜んでるんだと思うよ」
 返事をしながら、改めて“好き”の意味を考えてみる。ティーダがジェクトを好きだと思う気持ちと、カインが言った好きは、果たして同じなのだろうか。ティーダの授業中の口癖を借りれば、頭がぐるぐるしてくる。考えれば考えるほど、答えの破片があちこちに散らばっていくような気がした。
「……まあ、いいか」
「えっ、何か言ったか?」
「ううん、何でもない。あっ、ティーダにボールが回ったよ」
 セシル達が見守る中、ティーダが本日二点目のゴールを決めた。スタンド中が湧き上がり、熱気は最高潮に達していた。フリオニールは手を叩き、クラウドは膝の上で小さくガッツポーズを作っている。セシルは考えることを止めた。いくら考えた所で答えが出ないのなら、いっそ頭を真っ白にしてしまえばいい。試合は5対2でザナルカンド・エイブスが勝利した。大勢のファンを掻き分け、ただいま!と駆け寄ってきたティーダと共に、4人はバラムへ帰還した。
 山を下り、商店街に立ち寄る。試合に勝った日は、バラム産トロピカルフルーツジュースを奢ってやるのが恒例となっていた。満足げにジュースをストローで吸いながら先頭を切るティーダが、前方に見える人影を見てあっ、と声を上げ指さした。彼の指が指し示す方向を見やると、ガーデンの西門近くに、カインが腕を組んで立っていた。深刻そうな顔つきに、ただならぬ気配を感じる。また怒らせるような何かをしてしまったのだろうかと考えながら、セシルは真っ先にカインの側に走り寄った。
「どうしたんだ?カイン」
「お前が帰るのを待ってた。今からバロンに戻るぞ」
「えっ?何で……」
「早くしないとバロン行きの列車を逃す。急いで用意しろ」
「待ってよ、一体どうしたんだよ」
「……さっき、連絡が来たんだ」
 セシルを見下ろし、逡巡するように一呼吸置いてからカインは言った。バロン王が、倒れたらしい――。






※ちなみに本当のジェクトシュートはディフェンス突破人数が2人だった気がします。
10のブリッツボールはハマったなあ。FFのミニゲームは総じてよく作りこまれてると思います。



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