女尊男卑




 兵学校を卒業し、陸兵団に入隊してから約1ヶ月が経ちました。
 最近のバロンでは、神隠しという単語を聞かない日がありません。二歳上の先輩と共に町の巡回にあたっていた僕は、昨夜もまた、バロンの兵士がこつ然と姿を消したという噂を農家のおばさんから聞きました。
「これでもう12人目だよ。一体どうしたものかねえ……」
 皆は神隠しだと噂しますが、そんな言葉で片付けていい問題ではないと僕は思うのです。そのことをカインに相談するため、隊の訓練が終わった後、僕は彼の自宅を訪ねました。
 去年、僕より一足早く学校を卒業したカインは竜騎士団に入隊しました。唯一飛竜と心を通わせることが出来る彼は、入隊と同時に隊長になりました。カインには人を率いるカリスマ性があり、責任感が強く、また槍の腕も確かです。バロンが誇る竜騎士団の長として、何ら申し分ない彼の非凡な才覚を、僕は親友として心から誇らしく感じます。
 カインは最近お酒を嗜むようになりました。バロンでは17歳から飲酒が許されています。つい先日17歳の誕生日を迎えたばかりの彼は、その日からは毎晩のようにお酒を飲むのが習慣になってしまった、おかげで二日酔いに悩んでいると、未だ飲酒が許されない僕に対してどこか優越感をちらつかせた表情で言いました。こういう所は子供の頃から変わりませんが、そんなカインに僕はホッとするのです。
「神隠しなんてオカルトの類、俺も信じられんな」
 グラスに入ったお酒を一気に飲み干し、カインはそう言いました。
「僕もそう思う。誰かが、何かの目的で拉致しているんだ、きっと」
「ところでお前、陸兵団はどうなんだ」
「どうって?」
「また苛められてないだろうな。“セシルちゃん”だったろ昔」
「なっ……そんなことあるもんか!」
「ならいいんだがな。……そう言えばこの前、うちの新入隊員がお前を見て女神がいるとか騒いでてな。あいつは男だと教えてやったら、哀れなぐらい落胆してたぜ」
「……そんな報告、いらないよ」
 きついお酒をどんどん飲むカインの傍ら、僕はホットミルクを口を尖らせフーフーしながら飲んでいました。どうやら陛下の癖が移ったようです。そんな僕を見てカインはシニカルに笑いました。
「セシルお前、来年になっても酒は飲めそうにないな」
「ひどいな、勝手に決めつけるなよ。僕だって17歳になれば……」
「ふうん、なんなら今から予行演習するか?お前が酔うとどうなるのか、見てみたいしな」
「いっいいよそんなの。法律違反だし……」
「怖いんだろ」
「怖くない!」
「じゃあ、飲めよ」
「……分かったよ」
 まんまとカインの口車に乗せられ、僕は彼の差し出したお酒のたっぷり入ったグラス(バーボンのロックだと言っていましたが、ロックって何だろう?)を手に取りました。しかし匂いを嗅いだ瞬間、強烈なアルコールの匂いが鼻先から頭の中に流れ込んできたのです。僕は自分の感覚が麻痺していくのを感じました。
 目の前がぐるぐる回り、二匹のうさぎが壺を抱えて踊っています。遠くでカインの声が聞こえたような気がしましたが、それどころではありません。二匹のうち一匹のうさぎが、壺を床に落としてしまったのです。割れた壺の前でしくしく泣いているうさぎを見るうち、僕までとても悲しくなってきてしまいました。涙が溢れ、誰彼構わず泣きつきたい気分です。そうだ、カインがいるじゃないか……。僕は彼の胸に抱きつくと、思う存分泣きました。
「セシル!おいセシル落ち着け!」
 彼が何を言っているんだか分かりません。まあいいや、とにかく僕はいまとっても悲しいんれす……すんごーく泣きたい気分なのれす。
「泣き上戸だったのか…」
 何かをぼそりと呟いたカインの言葉を聞いたのを最後に、僕は意識を手放しました。
 翌日、僕はカインと共にバロン王に謁見しました。陛下の養い子としてではなく陸兵団隊員として、そしてカインは竜騎士団隊長として。
 王座に通され、僕達は片膝をつき頭を深く下げました。挨拶を述べると陛下に立ち上がるよう言われたのでそれに従い、そして、古くからバロンに伝わる敬礼を。
「ほう、立派なものだ。カイン、セシル。成長したな」
 そう仰って顔を綻ばせる陛下の笑顔には、しかしながらどこか疲労の色が見え隠れしていました。我がバロンの兵士が相次いで失踪しているのですから、国民を誰よりも愛してらっしゃる陛下のご心労は僕達の想像以上に大きいのでしょう。
「陛下。今日は相次ぐ失踪事件について、申し上げたいことが御座います」
「……何だ、カイン。申してみなさい」
「はっ。――私はセシルと共に失踪した者達の足取りを調べました。すると、失踪した12人全員がバロンより西の何処かの地点で消息を断っているのです」
「ほう。それはつまり……どういうことだ?」
「我がバロンは海を越えた東に多くの兵士を送り込み各地の開発に当たらせております。しかし行方不明になるのは決まって西側に遠征に行った者達。商人や農夫、女子供の被害が一件も発生していないことから、何らかの目的があってバロン兵だけを狙っているのは自明であり、それにもかかわらず、圧倒的に人数が多く攫うチャンスにも恵まれているはずの東側の兵士は未遂の一件さえ起きていません。これはつまり、東側に行く能力のない――造船技術を持たない者の仕業なのではないでしょうか。海を隔てた大陸を渡る能力がないのですから、“犯人”の潜む候補地は絞られます。トロイア地方、ミスト周辺、もしくはバロンよりやや東側ではありますが陸続きのカイポ周辺の砂漠地帯か――。各地に特使を派遣し、調査に当たらせては如何でしょうか」
「なる程一理あるな。相分かった、早速調査に行かせよう。竜騎士団隊長カイン・ハイウィンド。そして陸兵団隊員セシル・ハーヴィ。お前達二人は早速トロイアに行き、失踪事件に関わる手掛かりを調査するのだ。ただし特使ではなく旅人としてな。若いお前達にとってはその方が動きやすかろう」
「はっ!仰せのままに、陛下」
「うむ、頼もしい返事だ。ときにセシルよ、カインの言うことをよく守るのだぞ。お前は昔から環境の変化に弱いのだから、食事には十分気をつけなさい。寝る前に水を飲み過ぎてはいかんぞ。トイレに行きたくなるからな。それとポーションと毒消しは常に余裕を持って買っておくこと。勝てない敵から逃げる勇気も時には必要だぞ、いいな」
「……はっ。多大なお心遣い、感謝します……」
 陛下の命を受けバロンを出発してからかれこれ一時間ほどが経ちました。その間、カインはくっくと押し殺したような笑いを絶えず漏らしては、揶揄を含んだ表情で僕の顔を見やるのです。
 チョコボの森に到着した僕達は、小休止を取りました。仏頂面の僕を宥めるように肩をポンと叩き、カインがポーションの入った瓶を差し出してきました。
「そろそろ機嫌直せよ、セシル」
「……直すも何も、別に僕は……」
「そう腐るな。陛下はお前が可愛くて仕方ないんだろ。未だに小さい子供みたいに思ってるのかもな」
「僕はもう、16歳なのに?」
「陛下にとっては“まだ”16歳なんだよ。なにせ一滴も飲んでいないのに酔っ払うような奴だ」
「……お前が羨ましいよ、カイン」
 暫くしたのち僕達はチョコボに跨ってバロン北西の飛行場に向かいました。そこからトロイア方面の飛空艇に乗るのです。
 飛空艇技師のシドによるとあと一年もすれば平地であれば何処でも離着陸可能の小型飛空艇が完成するとのことですが、少なくとも今の段階では広く整備された土地が必要です。また、飛空艇が空を飛び続けるには大量の熱エネルギーを必要とするため、石炭の需要がここ数年の間に数倍に跳ね上がりました。しかし熱効率が非常に悪いため廃熱の量も多く、石炭の過剰消費は環境破壊に繋がりかねないとして、去年バロンにて国際会議が開催され、各国の使用量に制限を設けた環境保護条約が締結されるに至りました。
 竜騎士のカインに言わせれば手間の掛かる飛空艇も国際会議も“まどろっこしい”の一言らしいのですが、とは言っても彼は飛空艇の存在を否定している訳ではないのです。“空を飛びたい”という誰もが抱いていた普遍的な夢が、人間の進化の象徴とも言える科学の力によって実現されたのですから。それに、カインの兵学校時代の専攻は航空力学と動力学でした。
 ちなみに僕はといえば専らの文系脳で、物理学の初歩の初歩であるエネルギー保存の式ですら理解するのに苦労したので(位置エネルギーという概念が、僕にはどうしても掴めなかったのです)、専攻課程は古代史と政治学を選択しました。
 あなた達はどこまでも正反対ね、と笑いながらローザに言われたのを思い出します。
 トロイア南の飛行場を後にした僕達は近くのチョコボの森に入り、チョコボに乗りトロイアに向かいました。トロイアは森林に囲まれた美しい水の都です。観光地としても名高いこの国は世界唯一の女性による統一国家で、八人の神官が政治から司法、外交までの一切を取り仕切るという政祭一致の形を取っています。人口の九割が女性で、国によっては男性向けのトロイア婚活ツアーまで存在するとか、しないとか。
 情報収集の場として基本中の基本である酒場に行くと、綺麗な大人の女性がそれぞれの男性客の側に寄り添い、お酒の相手をしていました。ほとんど裸同然のような格好の女の人もいて、目のやり場に困っていると、カウンターに立っていた女の人が入り口に立ちすくんだ僕達を見て声をかけてきました。
「あなた達、初めて?」
「はっ、はい」
 手招きされるがままカウンターに導かれ、腰の位置にある小さな丸い椅子に腰掛けます。僕達に話し掛けてきた女性はとても綺麗な人で、他の店員さんからマスターと呼ばれていました。
 胸元が大きく開いた身体のラインがくっきり出る赤のワンピースが、マスターの派手な顔立ちをより引き立たせています。女性に慣れていない僕は目の前の女性が放つ妖艶なオーラに圧倒されてしまい、まるで石化魔法を掛けられた時のように体が固まってしまいました。
 隣に座ったカインを横目で見やると、お酒を注文する唇が僅かに震えているのが分かります。いつも僕に対して何かと大人ぶっているカインですが、どうやら僕同様に女性に囲まれ緊張しているようです。……なんて、カイン本人に言ったらきっと怒られるだろうけど。
「ずいぶん若いお客さんねえ。あんた達、何歳?」
「えっ……と……」
「18。で、こいつは17だ」
 一歳サバを読んでカインが答えます。
「旅の人?観光客って感じでもないし」
「はっはい、そうです」
「へえ、どこ旅してきたの?男二人じゃつまんないからここに来たんだ?」
「違う。俺達は……その、ただ物見遊山に旅をしているわけじゃない。どこの国にも下らん悪巧みを考えてる奴はごまんといる……俺達は、そういう奴らを倒しながら世界中を回っているんだ。この前なんかは……レッドドラゴン退治に明け暮れてだな……」
 カインの口から嘘八百が飛び出すのを、僕は隣でただ黙って聞いていました。カインの言った内容は、幼い頃彼がよく読んでいた二人の勇者の物語そのものです。
 とある王国の親友同士だった二人の戦士は王の命令により世界中を旅しながら悪を倒して行きます。瞳を見たものを石に変える魔女の退治や、火を吐く巨大なドラゴンを封印したり、ずる賢い盗賊をやっつけたり。
 やがてたまたまたどり着いた魔王の祠で、一人の戦士が悪意に飲み込まれてしまいます。そして暗黒面に支配された親友がもう一人の戦士に襲いかかり二人は敵対するのですが、最終的には善意が悪意に打ち勝ち、友情を深めた戦士達が魔王に決戦を挑むのです。戦いの末魔王は滅び二人は勇者になりましたが、一人の戦士は命を落としてしまいます。この話の面白い所は、どちらの勇者が命を落としたのかが明記されていないのです。どちらにも取れるような表現が使われていて、最終的な結末を読み手側に選択させる手法はとても斬新でした。
 カインは暗黒面に堕ちた勇者が贖罪するシーンがないため、死んだのはその勇者に違いないと言いますが、僕は何となく、死んだのはもう一人の戦士じゃないかなあと思うのです。
 理由はなく、ただ漠然とそう思っているだけなのですが。
「へえ。どっかで聞いたような話ねェ…まあいいけど」
 マスターに一応の信用を得たと安堵し、続けてカインは本題を持ち出しました。
「俺達が此処に来たのは、最近トロイア方面で兵士が誘拐される事件が多発していると聞いたからだ」
「誘拐?トロイアで?」
「ああ。何か知らないか」
「残念ながら知らないわねェ。……で、二人の勇者様はその犯人を探してるってわけ?」
 最後の言葉に僕とカインが思わず顔を振り仰ぐと、マスターはしたり顔で煙草に火を付けました。
「二人の勇者の物語、私の父が好きだったのよね。男のロマンなんだって」
 そう言い、ふーっと白い煙を吐き出します。――どうやら、初めから嘘だと看破されていたようでした。ふてくされたのかすっかりカインが押し黙ってしまったので、僕が代わりに答えます。
「嘘ついてごめんなさい。僕達、ちょっと事情があって……」
「いいから、本当のこと話してごらん。あんた達バロンの兵士でしょ?それもまだ1、2年しか経ってないひよっ子君とみた」
 マスターの指摘は何から何まで当たっていて、気味が悪い程でした。鳩が豆鉄砲を食らったような僕達を見て、伊達に海千山千の男共の話し相手をしてきた訳ではない、と彼女は言いました。
 なぜ僕達がバロンの人間だと分かったのかと問うと、マスター曰わく僕達は“だだ漏れ状態”なのだそうです。
 外見こそ20にも満たない少年だけれど、歩き方やちょっとした仕草の何から何までが訓練された軍人のそれであり、さらに、言葉に一切の訛りがないことからバロン出身だとすぐに分かった、見る人が見れば僕達の身分などバレバレだ、そう彼女は指摘しました。
 僕は今まで、自分が周りの目にどう映っているのか、第三者の立場になって一度だって考えたことがありませんでした。ただ装いさえ変えていれば、それで済む話なのだと。
 学校を卒業して兵に所属し、初めて陛下直々に命令を頂いたのに――僕も、そしてカインも、自分達の未熟さをつくづく思い知りました。
 肩を落としすっかり落ち込んだ僕達を見て、マスターが慰めるように言いました。誘拐の話は知らないけど、心当たりがないことはない、と。その言葉に、僕達は同時に頭を上げました。
「え?それって……どういうことですか?」
「まあまあ落ち着きなさいよ。トロイアでは遺伝的に女しか生まれない。それは知ってるわよね」
「ああ。本来なら同等であるY染色体に対して、X染色体が優性に立つ為だと聞いた。仮に男からY染色体を引き継いでも、X染色体が優位に立つから意味を為さないと」
「その通り。優位に立つよう遺伝子レベルでプログラムされているのね。何でそんなことになったのかは知らないけど」
「で、あんたの心当たりとは……?」
「トロイアでは女しか生まれない。男女のセックスがないと子は作れない。でもこの町にはよそから沢山の男性が訪ねてくるから、幸い相手には困らないわ。さてここからが本題。世界には地図にも載らない小さな集落がいくつもある。もちろんこのトロイア地方にもね。私達のように女しか生まれない遺伝子を持った人間達が、ほとんど観光客の来ないような場所で集落を作ってるとしたら?自分達の血を絶やさないために必要な男……いいえ、精子をどうやって手に入れる?」
「えっと……他の国に行って、結婚すればいいんじゃないかな」
「そうね。でもさっきも言ったけど、トロイア人の遺伝子にはY染色体つまり男性に優位に立つプログラムがされている。私達にとってはあくまでも遺伝子レベルの話だけど、実際の人格形成にまで影響を与えるほどの色濃い遺伝子を持った人間がいたらどう?“自分より下等の男の所有物になるなんてとんでもない”そんな風に思うんじゃないかしら」
「まさか……そんな人間が集まった集落が……あるのか?」
「イエス。ここから北西の森林地帯にね。彼女達は独身を貫くにも関わらず子孫が代々続いている。あくまでも私の勘だけど、彼女達は他国から子種用の男を定期的に“調達”してるんじゃないかしら」
 マスターの話を聞き、ぞくりと背筋に寒気が走り抜けました。漠然と嫌な予感が広がります。多数のバロン兵が一気にいなくなった原因は、もしかしたら――。
 僕とカインは顔を見合わせ、頷きました。確証を得るためにも、一刻も早くその村に向かわなければ。しかし、代金をテーブルに置き席を立った僕達をマスターが呼び止めました。
「待ちなさいよ、あんた達村に向かう気?」
「はい。これから調査に向かいます」
「男のあんた達が行ったら兵士達の二の舞でしょうが。世界屈指のバロン兵達を誘拐した犯人かもしれないのよ?ひよっ子が行った所で子種用の玩具か家畜にされておしまいよ」
「危険は承知だ。しかしこのまま確証のない情報だけを持ち帰るわけにはいかん」
「仕方ないわねえ。んじゃ、ちょっと奥に来な」
 僕達がマスターに連れられた先は、控え室のような場所でした。長いレールには様々な衣装が掛けられ、壁には一面の大きな鏡が、作り付けのテーブルには化粧品が置いてあります。マスターは僕達に服を脱ぐよう言いました。何故そんなことを言うのか分からず戸惑っていると、マスターは僕の前ににじり寄り、無理やり上着を引き剥がしてしまいました。
「わあっ!な、何するんですか……」
「ったく面倒だわね、早く脱ぎなさいっての。取って喰おうって訳じゃないんだから」
 呆れたようにそう言われ、僕達は渋々服を脱ぎ始めました。マスターは下着姿になった僕達を上から下まで値踏みするように眺めると、くるりときびすを返して衣装を漁り始めました。彼女の後ろ姿を見て、まさか――と、僕の頭には嫌な予感がよぎりました。マイナス方向の予感というものは得てして当たるもので、案の定というべきでしょうか、程なくしてマスターは僕達に女性用の衣装を手渡したのです。広げてみると、三角の耳がついた白いローブとタイツ、それに茶色のふかふかしたブーツのセットでした。これはどう見ても女性の白魔導士の衣装です。横を見やると、カインが渡されたのは狩人の衣装のようでした。緑色のポンチョにベージュの短いキュロット、膝上まである長いソックスに細身のブーツ。真っ青になったカインの横顔を見て、僕の衣装の方がややマシかも……と呑気なことを考えていると、早速着てみるようマスターに言われました。しばらく躊躇しましたが女性に変装して侵入するというマスターの提案は至極真っ当なもので、それ以外の方法も思い付かないのが現状です。僕は床に座り込むと、いタイツに足を通し始めました。
「セシル!お前何やってんだよ!」
「仕方ないだろ、これしか方法はないと思う。カインも早く着替えろよ」
「嫌だぞ!何で俺がこんな格好……」
「じゃあ僕1人で行くよ。カインは待ってて」
 こんな言い方はちょっと卑怯かな、と思いつつ、カインの出方を待ちました。観念したらしく、カインはぶっきらぼうに衣装を取り、少し離れた場所でキュロットに足を通し始めました。やっぱりカインはいいやつです。ごめんねと思う一方で、何だか嬉しくなりました。
「あらら、随分かわいくなっちゃって」
 女装した僕達を見て揶揄するようにマスターが言いました。隣に立つ仏頂面のカインを見上げ、上から下まで眺めてみると、口には出しませんでしたが確かによく似合っています。さらさらの金髪をポニーテールにして、羽根付きのベレー帽をかぶったカインは女狩人さながらでした。感心していると、彼が突然僕を見やり、フッと皮肉めいた笑いを浮かべました。
「お前、そうやってるとまんま女だな。かっこ悪いぜ」
「そう言うカインだって女の子みたいじゃないか」
「何言ってんだ、お前の方が本当の女みたいだろ」
「そんなことない、カインだよ」
「いいやセシルだ」
 言い争う僕達に、マスターがにこりと微笑み言いました。どっちもよくお似合いよ、と。



***



 トロイアを出発し、森に入ってから半日ほどが経過しました。歩いても歩いても同じ風景で、見渡す限りの鬱蒼とした木々、そして時折襲いかかってくる蜂や蛇の群れ。動きにくい白魔導士の衣装で剣を扱うのは骨が折れ、カインにしても、背中に弓矢を背負いながら槍を扱うのに苦心しているようでした。方向を見失わないよう針葉樹の幹に傷を付け、それから僕達は小休止を取りました。カインの手懐けている飛竜を呼べないのかと尋ねてみると、あんなデカい生き物が飛び回ってたら怪しまれると言われました。
 水分を補給し、ポーションで体を癒やし、再び森の中を歩き始めました。湿度が異常に高く、じめじめした空気が体中にまとわり付き、タイツを履いている足がとにかく蒸し暑いです。今すぐにでも脱いでしまいたい、そうだ、タイツを脱いで直接ブーツを履こうかな、そんなことを考えているうちに、前方に小さな灯りが見えてきました。
「カイン、あれって」
「ああ、村だ……。半信半疑だったが本当にあるとはな」
 高い塀に囲まれた小さな集落の前に立ち、僕達は改めて互いの装いを確認しました。服についた汚れをはたいて落とし、髪型を整えます。
 バロンの城門を思わせる重厚な門扉を叩くと、門の横にある小さな木の窓が開かれました。若い女性が顔を出し、訝しげに僕達を見て、
「あなた達、どなた?」
「お……いや、私達は旅の者です。一晩こちらに泊めて下さらない……かしら?」
 すでに声変わりを終えたカインが、甲高い裏声で答えます。女性として違和感がないその声に、彼の意外な特技を知りました。
「お名前は?」
「フライヤです。こっちはセシル」
 “フライヤ”とは、“カイン”は男の名前が一般的だからと、マスターから使うように言われたカインの偽名です。“セシル”は男女どちらでも使える名前ということで、そのまま名乗ることにしました。
 暫くその場で待つように言われ、数分後に門の扉が開かれました。中に入ると背の高い黒髪の女性が僕達を待っていました。左右に侍女を侍らせており、恐らく彼女がこの集落の代表者なのでしょう。
「このような辺境地にようこそいらっしゃいました。私達はあなた方を歓迎します」
「あ、はい、どうも……」
「ふふ、そんなにご緊張なさらずにごゆるりと。そうだわ!せっかくのお客人ですもの、夕食会を開きましょう。旅のお話などどうぞお聞かせ下さいな」
「ええ、もちろん。お心遣い感謝します。行く……わよ、セシル」
 僕達は集落の最奥にある一番大きな建物に招かれました。がに股にならないよう注意しつつ長い廊下を歩き、舞台のある大ホールに着くと、中央の円テーブルに座るよう給仕の女性に促されました。先程通った廊下にも、そしてホールにも男性の姿は見当たりません。やはりここが、マスターの言っていた村なのだと確信しました。しかし、完全な男社会である軍隊に所属している僕達にとって、女性しかいない空間というのは何とも奇妙なもので、何処となく落ち着きません。夕食会の間はカインがほとんどの受け答えをしてくれましたが、それでも窮屈で息苦しいことには変わりなく、せっかくの豪華な食事もろくに喉を通りませんでした。
 会食後は代表の女性(周りからはチーフとか、ロードと呼ばれているようです)自ら宿屋まで案内してくれることになりました。オレンジ色の街灯が連なる石畳の歩道を通り、いくつかある民家を横切り、枝分かれした道を左に曲がったその時。右手奥に、ボロボロの小屋が見えました。
「あの……あの小屋は何ですか?」
「あれはただの家畜小屋ですわ。さあ早くこちらへどうぞ、宿屋はすぐそこです」
「は、はい」
 その時、何者かの叫喚が微かに聞こえたような気がしました。


***



 部屋に着いた僕達は、荷物を下ろすと素早く服を脱ぎ捨て、代わりに黒のローブを纏いました。短刀を腰に提げ、窓から下を覗き込みます。地面が芝生なのを確認し、窓をそろりと開き、ロープを窓から外に垂らしました。カインがロープを部屋の中で支え、僕はそれを握り締め、出来るだけ音を立てぬよう壁を伝って地面に降りていきます。やがて着地すると、今度はカインがジャンプで地面に飛び降りました。
「セシル、さっき見た小屋だが……」
「ああ。すごく怪しいと思った」
「遠回りして、裏手から回ろう。万が一見つかったら即逃げる。深追いはしない。いいな」
「分かった」
 僕達は小走りで、先程チーフが言っていた“家畜小屋”に向かいました。あの小屋を見た瞬間言いようのない胸騒ぎがしたのです。それはカインも同じだったようで、村の周囲を囲む背丈の高い草むらを掻き分けながら、慎重に前に前に進んでいきます。小屋の周辺に近づき、僕達は側にある民家の陰に身を潜めました。そっと顔だけを出し、小屋の様子を伺います。暗闇のなか目を凝らすと、どうやら小屋に窓はなくて、建て付けの悪そうな木の扉には鎖のついた鍵が掛けられているようでした。暫くすると人影が小屋の方に近付いてくるのが見えたので、一層意識を集中させます。
 人影はチーフの後ろにいた侍女の一人のようでした。彼女は扉の前に立つと、鍵らしきものを取り出し、扉に付けられた鎖の鍵穴にそれを差し込みました。程なくして開鍵された扉を手前に引き、小屋の中に入っていきます。
 夕食会の時の彼女は、にこやかに笑い、優しい口調で僕達に歓迎の言葉を掛けてくれて、とても穏やかな女性という印象を受けました。だから、小屋から聞こえてきた怒声が、本当に彼女が発したものなのか俄かには信じがたく、僕は一瞬自分の耳を疑いました。しかしそれは、幻聴ではありませんでした。何かを蹴るような鈍い音がしたかと思えば、彼女はヒステリックな口調で言いました。
「バロンに帰りたい?はっ、バカ言うんじゃないよ!お前達種馬には権利なんてないんだよ、死ぬまで私達に尽くして貰うからね!あはははっ」
 小屋から聞こえてくる狂ったような高笑いに、言い知れぬ恐怖と戦慄が走りました。彼女は確かに言ったのです、バロン、と。チーフが家畜小屋と呼んだあの小屋にいるのは決して家畜なんかじゃなく、僕達の同志であるバロンの兵士――思わず声を出し掛けた僕の口を、カインの手が間一髪で塞ぎました。
「セシル、退くぞ」
 手の平で口を塞いだまま、僕の耳元でカインがそう囁きます。僕達は音を立てないよう忍び足で、その場から立ち去りました。
 宿屋の部屋に戻り、纏っていた黒ローブを脱ぎながら、僕はカインの方を見やりました。彼は既にローブを脱いでおり、上には何も着ていません。その格好のままベッドに腰掛け、ふう、とため息をつき、言いました。
「ビンゴ、だったな」
「ああ……何てことだ……」
「セシル、朝一番でここを立つぞ。バロンに戻って報告だ」
「えっ……兵士達を放って?」
「気持ちは分かるが、これは俺達2人だけで解決出来る問題じゃない。国家レベルで対処すべき大事件だ」
「確かに、そうかもしれないな」
「とりあえず今夜は休もうぜ。明日は一切の休憩無しだ」
「うん、分かった」
 その時でした。何者かが、僕達の部屋のドアを突然ノックしたのです。こん、こん、とドアを叩く音だけが、静まり返った部屋中に響き渡り、僕達は自分達の身なりを思い出してハッとしました。
 まずい、2人とも上半身裸のままだ――!
 男の特徴ともいえる膨らみの全くない胸を見られれば、声や仕草をいくら女らしくした所で誤魔化せるものではありません。とっさに脱ぎ捨ててあった女性用白魔導士のローブを手にすると、カインがそれを僕から奪い、自分の肩に羽織ったかと思えば、彼は僕を抱き締め、後ろのベッドに押し倒したのです。
「失礼します。お夜食にパールとプティフールは如何かしら?」
 ドアが開かれ、ワゴンを持った女性が中に入ってきました。しかし、僕達を見るや否や、目を丸くし顔を赤らめ、
「あらっ……ごめんなさい、お邪魔しました……」
「そうしてくださる?いま取り込み中なの」
 顔だけを彼女の方に振り返って、カインは見せ付けるように僕の頭を撫で回しました。それを見て益々赤面した女性は、慌ててワゴンを下げ部屋から立ち去って行きました。何とか、危機は乗り切ったようです。張り詰めていた緊張が一気に抜け落ち、僕は安堵の息を漏らしました。
「ああ、危なかった……。でも僕達、あの人に変な関係だと思われたよね」
「どうせ明日ここを出るんだ、好きに思わせておけばいい。それより、寝る間も女装は解かない方が安全だな……仕方ない」
 鍵のないドアを見て、カインがうんざりした口調で言いました。
 翌朝、宿屋を出た先に、チーフが侍女を伴いにこやかに立っていました。彼女達はどうやら僕達を待っていたそうで、昨日のホールで朝食を一緒に取らないかと言われました。旅を急ぐ身だからと一度は申し入れを断りましたが、他国の客人が村に訪れた際は最大のもてなしをさせて頂くのが我々の伝統なのだ、せめて朝食だけでも召し上がっていって欲しいと懇願され、郷に入っては何とやら、ここまで言われて無下に断ることも出来ません。朝食を済ませたら直ぐにここを出発すると伝えると、それだけでも十分です、とチーフは言いました。
「昨日はよく眠れましたか?セシルさん」
「はっはい、おかげさまで」
「そうですか、安心しました。フライヤさん、ここを出たらどちらに向かわれるの?」
「放浪の旅に目的などありませんわ。風の向くまま、あてのない旅を続けるつもりです」
 グラスの水を飲み、カインが裏声で答えます。昨日の夕食会の成果か女の子の言葉遣いがだいぶ板についてきたようで、淀みのない口調でした。
「とても素敵な旅ですね。ましてや愛する人と2人きりの旅なんて……本当に素敵。ねえ、セシルさん」
「えっ……?」
 チーフは手にしていたスープのカップをテーブルに置くと、真正面に座る僕達の顔を交互に見ながら言いました。
「聞きましたわ。あなた達、恋人同士なんですってね」
「さあ……?何のことだか」
「隠さなくていいのよフライヤさん、からかってる訳じゃないんです。ほらこの村は女ばかりでしょう?だから同性愛は珍しいことではないわ。それも一つの愛の形ですものね」
「……ええ」
「あなた方の泊まった宿屋の娘がね、ええと名前は何だったかしら、あの子が興奮気味に教えてくれたんですよ。“男同士のあんなシーン初めて見ちゃったわ”、とね」
 チーフが至極たわいないことのように言ったので、一瞬、ただの聞き間違いかと思いました。……今もしかして、男同士って、言った?僕はおもむろに、チーフの顔を見上げました。
 昨日、初めて会った時から、ずっとにこにこしていた彼女の目は、一切笑っていませんでした。
「バロンからいらっしゃった美しいお嬢さん方。荷物は、一瞬たりとも手放さないことをオススメしますわ」
「――セシル!行くぞ!」
 カインは勢い良く音を立てて立ち上がり、僕の腕を引っ張ってホールの入口に駆け出しました。女性達は高らかに笑いながら、僕達を追ってきます。襲いかかってきた入口の女性をなぎ払い、扉を蹴飛ばした時でした。目の前を走っていたカインが、突然ふらりと体をよろめかせ、やがて床に跪いてしまったのです。
「カイン!」
「セシル……逃げ……」
 目が虚ろになったカインの名を呼び、何度も肩を揺するうち、俄かに僕の頭に激痛が走りました。
「へえ、本当はカインっていうの。素敵な名前ね。もうひとつ忠告すると、飲み物には十分お気をつけなさいな」
 クスクス笑いながら呟いたチーフの傍ら、アイアンのロッドを手にした昨夜の女性が立っていました。彼女に後ろから頭を強く殴られたのだと理解したところで、僕は意識を手放しました。



***



 誰かが僕の名前を呼んでいます。誰だろう、聞き覚えのある声です。何だか体が怠い……もう少し寝ていたい……。夢から覚めてしまえば、恐ろしい現実が僕を待っているような気がするんだ……。
「……ル!セシル!起きろ!」
 ハッと目を覚ますと、カインの顔が目の前にありました。体を起こそうと手を振ると、両手首を手錠によって拘束されていることに気付きました。何とか勢いをつけ体を起こし、ゆっくり辺りを見回します。薄暗い石造りの壁に、頑丈そうな格子。どうやらここは牢屋のようです。自分の置かれた状況が思い出せず暫くの間ぼんやりと考えましたが、不意に後頭部に走った鈍痛が、全ての記憶を呼び起こしました。そうだ、僕達は正体がバレてしまって、そして――
「お二人とも気分はいかが?」
 チーフが沢山の女性達を従えて僕達の牢屋の前にやって来ました。その中には先ほど僕を殴った女性や、昨夜の僕達の部屋に入ってきた宿屋の女性の姿もあります。
「最高だ、とでも言えば満足か?」
 フッと笑い、カインがシニカルに言いました。チーフは顎に手をやり、僕達2人をジロジロと眺め、やがて斜め後ろにいた宿屋の女性に振り返ると、
「ねえ、あなた。この2人の何を見たんでしたっけ?もう一度詳しく教えてちょうだいな」
「は、はい。私が夜のお夜食にとパールとプティフールを持って2人の部屋に伺いますと、この2人ったらとんでもないことをしていたんです!ローブを羽織ったフライ……いいえ、カインさんがですね、ほとんど裸のセシルさんを抱き締めて私に言ったんですよ!取り込み中だ、と!その内だんだん2人の行為はエスカレートしまして、私がいるにも関わらず、まるで見せ付けるように熱い口づけを交わしてたんです。もう、私、男性同士のキスなんて初めて見ましたわ!私達が女同士で愛するように、やはり、下等生物は下等生物同士で惹かれ合うものなのですね。あの、チーフ、私から提案があるんです。この方達は今まで見たどの男性よりも可愛らしい容姿ですし、ペットとして飼うのはどうでしょう?飽きたらいつものように小屋に入れてしまえばいい話ですし……」
「あら、それはいい考えね。うふふ、報告ご苦労様でした」
 宿屋の女性は、脚色した“報告”を事も無げに語りました。それにしても、下等生物、ペット――彼女の柔らかな口調から飛び出す下卑た言葉の数々。トロイア酒場のマスターが言っていた、この村の女性に根付く男性蔑視の観念は本当のようでした。
「さて、カインさんセシルさん。あなた達はこれからショーを演じて貰います。昨夜お2人が宿屋の部屋でされていたこと……ここで今から再現して下さいな。みんな見てみたいってうるさいのよ」
「ふざけるなっ!俺達をここから出せ!」
「カインさんは本当に強気ねえ。好きですよ、そういう方。では条件をつけましょう。ここであなた達がショーを演じて下されば、あなた達のどちらか1人を解放すると約束します。これでどうかしら」
「信用ならんな。なにせ平気で他人の荷物を漁るような連中だ」
「これは立派な取引です。取引の場で約束を反故にするほど私は馬鹿ではありませんわ」
 それに賛同するように、チーフの後ろに立つ女性達も野次を飛ばし囃したてます。彼女達はまるで能面のような笑みを浮かべながら、何かに取り憑かれたように高らかに笑っていました。この村は、何もかもが狂ってる――。
 恐ろしいのは、彼女達から一切の悪意を感じないことです。男性を見下し家畜のように扱うことは自然の摂理であり、故にその行動理念に善悪は存在せず、自分達の行いは神の啓示に従っているだけのことだ――そのような思考が何代にも渡り受け継がれきたのでしょう。
 見方を変えれば彼女達もまた不幸なのかもしれません。ずっと昔、突然変異もしくは何らかの悪意が働いた結果、女尊男卑になるべくプログラムされた遺伝子が発生し、それが長きに渡って半保存的に受け継がれてきたが故に、このような閉鎖的で歪んだ社会しか知らず、歪んだ人格が形成されてしまった。
 聞くに耐えない下品な言葉を連呼し、僕達に野次を浴びせる彼女達の罵声は段々エスカレートしていきました。それらは1つの大きな塊となり、もはや誰が何を言っているのか聞き取れない程の狂騒と化した時、先ほどまで目を瞑って何かを呟いていたカインが、おもむろに立ち上がり格子に近付いていきました。
「カイン、どうしたんだよ」
「お前は黙ってろセシル。いいな」
 格子越しにチーフと対面したカインは、手錠の掛けられた両手を胸の前で掲げ、
「貴様の取引に応じよう。まずは俺の手錠を外せ」
「外して何をするつもり?」
「――手錠が掛かったままでは、あいつを抱けんからな」
「うふふ、それもそうね。いいわ、あなただけ外してあげる。でも、妙な真似をしたら……」
「フッ、俺は約束を反故にするほど馬鹿じゃないぜ」
 チーフの合図で彼女の後ろにいた侍女が前に出て、格子の隙間からカインの手錠を外しました。僕には、カインが一体何を考えてるのかさっぱり理解出来ません。手錠から解放された彼はポンチョを脱ぎ捨て、僕のところに戻って来ました。
「カイン、何やってるんだよ」
「覚悟を決めろセシル。悪いが俺は抱かれる側なんて真っ平だからな、早いもん勝ちだ」
「そんなこと言ってるんじゃないよ!こんな取引、間違ってるだろ!」
「冷静になれ、2人とも無駄死にする位なら1人だけでも助かる方法を選択すべきだ。事が終わればお前は自由の身だ……多少痛くても我慢しろよ」
「カイン!やめろ!」
 僕はカインの手から逃れるよう、床に腰をついたまま後ろの壁まで後退しました。彼は追い込まれた僕の前ににじり寄ると、暴れる足を押さえつけブーツを抜き去り、履いていたタイツを引っ張り力任せに破りました。それを見ていた女性達からは何が面白いのか歓声が湧き上がり、僕は益々手足をばたつかせ、一心不乱に抗います。一通りタイツを引き裂くと、カインはローブの裾に手を掛けました。
 まさかと思った瞬間、首まで一気に捲り上げられ、必死の抵抗も虚しく頭から強引に抜き取られてしまいました。手錠に拘束された両手が邪魔で、ローブを体から引き剥がすことが出来ないと分かると、カインは袖の部分を引き裂きました。
 ワンピースの役割を果たしていたローブを取り払われ、もはや破れたタイツしか肌を隠すものがなくなった僕は、体を捻り、床にうつ伏せになりました。カインが上から覆い被さり、僕の髪をかきあげ首の後ろを舐めあげると、またも女性達は歓声を上げました。
「どうしてこんなことっ……やめろカインっ……あっ……!」
 カインの指先が首から背中のラインをなぞり、反射的に肩が揺れます。左手で僕の腰を撫でながら、カインは背中じゅうにキスを落とし、やがて脇に手を差し入れうつ伏せだった体を起こされました。
「嫌だ、離せ!やめろ!」
「往生際が悪いぜ。少し黙ってろ」
 カインは言うなり、僕の口を自らのそれで塞ぎました。そのまま床に押し倒され、僕の両手を頭上に押し付け、角度を変えては啄むようなキスの嵐。
 さらに、胸元の突起を擽るように弄られ、体中に電流が走ったような、今まで感じたことのない感覚に襲われました。
「んっ……んんっ……」
 キスしたまま突起をしつこくなぶられるうち、じんわりとした痛みが広がると同時に、先ほど感じた奇妙な感覚が断続的に体中に襲いかかり、それから逃れようと必死に体を捻ります。やめてカイン、これ以上、この感覚を知りたくない――!
 感覚の行き着く先が無性に怖くなり、僕は両手を振り上げカインの頭を叩きました。たまたま手錠の輪っかが額に当たり、痛みに怯んだ彼の下からするりと体を抜け出すと、女性達は僕に向かって再び罵声を浴びせました。立ち上がった所でカインに後ろから腕を掴まれ、力一杯頬を叩かれました。その勢いで倒れ込んだ僕の上に馬乗りになると、彼はタンクトップを脱ぎました。高く結わえていた髪を解き、カインは僕の顔の両脇に手をつき、
「……セシル。悪かった」
「えっ?カイン、急に何を――」
 言いかけたその瞬間。カインの顔越しに視界に入っていた天井が、音を立てて崩れ落ちてきたのです。
 あまりに突然のことで体が硬直した僕をカインが抱きかかえると、崩れて大きな穴が開いた天井に向かって勢いよくジャンプしました。チーフの怒声が聞こえ、弓矢が下から飛んでくるのを間一髪で避けた時、僕達の目の前にいたのは飛竜でした。
 すぐさま背中に乗り、カインが頭を撫でるとばさりと翼を広げて空に向かって飛び立ちました。下を見れば彼女達の姿は見る見るうちに小さくなっていきました。
「いい子だ。よく来てくれたな」
 そう言いカインが再び頭を撫でると、飛竜は甘えるような声で鳴きました。
「……あの……カイン……これって……どういうこと?」
「捕まった時、俺はコイツの心に呼び掛けた。来るまでにはある程度時間が掛かるだろうと思って、奴らの取引に応じる振りをした」
「……それならこっそり教えてくれれば良かったのに……僕はてっきり」
「フッ。てっきり俺に犯されるとでも思ったのか?」
「からかうなよ、もう」
「すまん。奴らを信じ込ませるためにはあれぐらい必要だと思ってな」
「うん……ごめん、ありがとう」
 今頃になって、先ほど叩かれた頬がじんわり腫れてきたようでした。頬をさする僕の傍ら、カインが突然吹き出しました。
「お前、よく考えたらすごい格好だな」
 両手首は手錠で繋がれ、破れたタイツしか履いていない僕を見て、カインがくっくっと笑います。僕だって、好きでこんな格好をしてるわけじゃないのに!
「カインも上が裸でキュロットとニーソックスだろ。いい勝負じゃないか」
「ふん、それでもお前よりはマシだぜ」
「そんなことないよ」
「いいや、お前の方が恥ずかしい」
 奇妙な格好の口喧嘩は、バロンに降り立ち、駆け寄ったローザが僕達を見て悲鳴を上げたその時まで続きました。
 その後、兵士達は無事に解放されました。バロンに到着するなり陛下に謁見した僕達は事細かに状況を伝えました。陛下直々の指揮のもと村に大量の兵を派遣し、関わっていた女性は全て捕らえられ(ちなみに、彼女達がバロンの兵士ばかりを狙ったのは、ひとつは鍛え抜かれた健康な肉体の子供が欲しかったこと、そして、彼らが魔法に疎いことを知っていたからだそうです。それを知った王は急遽ミシディアの魔導士を派遣し、魔法の研究を開始したとか。)現在では彼女達の凝り固まった観念を解きほぐすために、バロンとトロイアの女性によるセミナーが毎日行われているようです。
 暫くの間、僕達に会ってくれなかったローザもようやく分かってくれたようで、全てが元通りになりました。
 ――いいや、違う。全てではありません。ほんの少し、何かが変わってしまったような気がするのです。
 陸兵団の先輩方と平地で剣の訓練を行っていると、上空を飛竜が鳴きながら飛んでいました。僕は空を振り仰ぐと、差し込む光の眩しさに目を細め、飛竜の背中に立つ彼の姿をいつまでも追い続けました。





戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送