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Ball&Chain


「なあ知ってるか?ベイガンさんってあっちの気あるらしいぜ」
 兵士の1人が昼食時に交わす世間話の種として持ち出したその話は、そこにいた皆の興味を強く引いたようだった。
 稀に見る早さで近衛兵団の隊長に上り詰めたベイガンの政治手腕は皆も認めるところであり、彼の早すぎる出世自体に疑問を唱える者は誰一人いなかったが、慇懃な態度とは裏腹に腹に一物を抱えていそうな人物像から、周囲には決して羨望の目ばかりを向けられている訳ではない。それは単純に好きか嫌いの問題で、後者の感情を抱く者達にとっては、ベイガンのネガティブな噂などは彼の悪口を言い合う為の格好の免罪符となる。増してやそれが、性癖に関わるようなことであれば尚更だった。
 好奇心に満ちた顔で続きを話すよう促され、そのことに気を良くした彼は勿体つけるように殊更ゆっくりとした口調で、自分だけが知っている彼の噂を話し始めた。
 真昼間からえげつない言葉が次々に飛び交い、彼らのすぐ真後ろで1人昼食を取っていたセシルの耳にも否が応にも話し声が入ってくる。対象が誰であっても、他人の悪口を言ったり聞いたりすることを極端に好まない彼は席を立ち、兵士らの声が聞こえない場所まで移動した。幼少の頃から自分に対して何かと親切にしてくれているベイガンの根も葉もない噂など、聞いていて愉快なものでは決してなかった。
 昼食後、合流したカインと共にバロンの城下町を歩きながら、セシルは先ほどの兵士らのことを彼に話した。何かと不穏な噂を立てられるベイガンが可哀想だと、温厚なセシルにしてはやや憤慨した様子で言う。ふうん、とおざなりに返事をする親友に対し、彼は口を尖らせた。
「カイン聞いてるのか?」
「ああ」
「ね、ひどいだろ。すごくいい人なのに」
「……性癖はともかく、ベイガンに裏の顔が見え隠れしていることぐらい誰だって見抜けるぜ。気付いていないのはバカのつくお人好しのお前ぐらいだ」
「カインまでそんなこと……」
「もうこの話題は終わりだ。せっかくの貴重な休みなんだぜ。それよりあの人だかり見てみろよ、何だあれ」
「何か売ってるみたいだね」
 商店街の一角にできた黒山の人だかりに2人は駆け寄り、爪先立ちして前方を覗く。両手に収まる木箱に丸い穴をくり抜き、そこにガラスらしきものをはめ込んだものを手に持ち、技術者の格好をした男が得意気に説明していたそれは最近開発されたカメラという商品だった。記録したい風景に向けてボタンを押すと、内臓された特殊なシートに塗られた感光物質に光が当たり、それを紙に転写して現像することで、これさえあれば見たもの全てを“写真”という形に残せるのだという。飛空艇をはじめとして技術発展がめざましい今日(こんにち)、技術者達はこぞって画期的な製品を開発しようと互いにしのぎを削っている。その根底に根差すのは“便利で楽しい日常生活の追求”であり、カメラはその代表的な存在ともいえた。コストダウンに成功すれば、やがて一家に一台が普通になる時代がくると、技術者は熱っぽく語っている。セシル達が離れたあとも、背後からは彼らの熱弁が耳に届いた。
 2人は町外れの軍専用の宿泊施設に向かっていた。本音を言えばもっと出店を見て回りたかったが、カインに急かされ長居することを諦めたのだ。部屋に入るなり抱き合い、口付けを交わしながら固い床に倒れ込む。ベッドに行く時間さえも惜しく、互いの唇を啄みながら服を乱暴に脱ぎ捨てていった。前戯もそこそこに体を重ね繋がると、セシルは甘美に酔いしれた声をあげてカインの肩にしがみついた。休日は大抵こうしてセックスに興じている。カイン率いる竜騎士団は滅多にバロン国内で訓練を行わないため、平日の逢瀬は限られていた。会えなかった日々を埋めるように、寝食も忘れてひたすら行為に没頭した。
 それから3日後のことだった。厳しい訓練を終え、疲労困憊した体で自室に戻ると、セシルはベッドに飛び込んだ。シャワーを浴びないと、そう思いながらも重たい体を起き上がらせることが出来ずにいた。睡魔に襲われ、瞼が何度となく下がってくる。もう駄目だ、シャワーは明日浴びよう――眠りの誘惑に打ち勝てず、目を閉じた時だった。突然部屋のドアがノックされた。殆ど反射的に、セシルは体を起こしていた。軍人としての習性がそうさせた。如何なる状況であっても、非常事態に迅速に対応するための様々な心構えを、幼少から徹底的に仕込まれている。
 セシルははい、とドアに向かって声をかけた。念のため枕元のダガーを手元に引き寄せておく。しかし外から聞こえた声を聞いて、背中に張り付いていた緊張が一気に解けた。セシルは相好を崩してドアに小走りに駆け寄った。
「こんばんは。どうしたんだいこんな時間に」
 扉を開いた先にいたのはベイガンだった。彼は軽く会釈した後、持っていた大きな鞄を胸に掲げ、
「どうしてもあなたに見せたいものがありまして。入っても宜しいですか」
「もちろん。でもどうしてこんな夜に?」
「明日まで待ちきれなかったんですよ。とにかく早く見せたくてね」
「ふうん、何だろう。楽しみだな」
 来客用の椅子に座ったベイガンに紅茶の入ったカップを差し出し、セシルはその隣に腰掛けた。おもむろに彼が鞄から取り出したものを見て、思わずあっと声を上げた。それは例のカメラだった。
「すごいや、買ったの?」
「ええまあ。私のはフィルムタイプで、補色を反転させ現像するのでカラーまで再現できる高性能なんですよ」
「よく分からないけど、一番いいカメラってこと?」
「はい。難点は10枚しか撮影できないことでしょうかね。いずれは増えるそうですが」
 ベイガンに手渡され、セシルはカメラを眺め回した。見た目以上に軽く、持ち運びにも便利そうだ。不意に疑問が沸き上がる。彼は何故、わざわざこれを自分に見せに来たのだろう。確かに普段からベイガンには何かと世話になっているが、こんな風に部屋に訪ねてくるのは初めてだった。カメラの上部にある丸い突起に指が触れると、横から手首を掴まれた。
「おっと。そこはシャッターボタンですから触れないで下さい」
「ああ、すまない」
 ボタンから指を離しても、ベイガンはセシルの手首を掴んだまま離そうとしなかった。まだ何かあるのだろうかと彼を見上げる。目が合うと、ベイガンは開いた手で鞄の中を漁り始めた。
「そうそう、3日前に2枚だけ撮影してみたんですよ。予想以上に鮮明に映ってまして、そのうちの1枚を持ってきたんです」
 それはいいけど、そろそろ離してくれないかなあ――心の中でそんなことを考えながらセシルは鞄を漁るベイガンの手元を見つめた。程なくして彼は白い厚手の紙を鞄から取り出した。白い面は裏側で、表側には撮影された風景が転写されているらしい。
 漸く手首を解放され、写真を裏向きにしたまま差し出される。ベイガンはセシルの肩に手を置いた。顔を近付け、写真を表に返すよう促された。
「見ていいの?わあ、何を写したんだろう」
「ご自分でお確かめ下さい。……よく撮れていますから」
 実際に撮影された写真というものを生まれて初めて見るセシルは、些か緊張した面持ちで白いそれをひっくり返した。見下ろし、真っ先に視界に入ってきたのは手前に映った花瓶だった。この花瓶、何処かで見たことがある――頭の片隅で考えながら写真の中央に目を移す。生傷だらけの背中に掛かる金色の長い髪を見た瞬間、心臓がどくんと大きな音を立てて鳴り響いた。その背中に回された手の甲には、見慣れた傷がついている。先日、炎の矢をとっさに手で庇った時についた自分の火傷に、酷似していた。
「……えっ……?」
「どうです。よく撮れてるでしょう」
「……ベイガン?」
「しかし情緒には欠ける光景でした。ベッドに行く時間さえも惜しかったというところですか……さすがお若いお2人だ」
 一体、彼は何を言ってるのだ。聴覚は正常に働いているのに、思考が置いてけぼりになっていた。写真をまじまじと見やる。真ん中に映っているのはカインの後ろ姿に間違いなかった。そして、彼の背中に手を回し、両脚をさらけ出して上に跨っているのは――
「まさかあなたがこんなに貪欲な方だったとは驚きました。人は見掛けに寄らないとはよく言ったものです」
 ベイガンはにやりと笑うと、固まったセシルの頭先でそう囁いた。ベイガンには裏の顔が見え隠れしている――カインの言葉が、不意に脳裏を横切った。
「……ベイガン、一体何が目的なんだ……なぜこんなこと……」
 セシルは肩に置かれた手を振り払い、唇を震わせながら言葉を紡いだ。段々冷静になった頭で、彼の目的を分析する。ただ自分達の関係を揶揄するためだけに撮影したとは思えなかった。恐らく何かしらの脅迫目的があって、夜中にわざわざ訪ねてきたのだ。真っ先に浮かんだのは金銭の要求だが、それはないとすぐに考えを打ち消した。一介の兵士であるセシルに大した蓄えがないことぐらい、誰でも予測がつく筈だからだ。昼間に聞いたベイガンの悪口の中で、奴は出世欲の塊だと毒づいた者がいた。それが事実なら、もしかしたらベイガンは自分に対して王に何らかの口利きを求めるつもりなのかもしれない。そうなった時、どういう対応を取るべきなのかを必死に頭の中で思考を巡らす。
「セシル殿。私の噂はご存知ですか」
「……噂?」
「まあ私はそもそもひた隠している訳ではありませんから、大して気になりませんが」
「まさか、それって」
「おやご存知のようですね、それなら話は早い。でも誰でもいいって訳ではないんですよ。私は容姿や性格には拘る方でね」
「……?」
「私はね、素直で美しい方が好きなんです。あなたのような、ね」
 髪の毛を指で弄られ、セシルは反射的にベイガンのそばから離れた。話の続きを聞くのが怖い。予感が確信に変わりつつある。彼の目的は、まさか――
「月並みな台詞で申し訳ありませんが……敢えて使わせて頂きましょう。“写真を公表されたくなければ、一晩私と過ごして下さい”」
 俄かにベイガンの手が伸び、二の腕を強く掴まれる。もう一枚の写真は然るべき場所に隠してあります、そう言われ動けなかった。全身が震えだす。何ひとつ機転の利いた打開策が思い浮かばない自分自身が腹立たしい。
 カインを想う気持ち自体に一点の後ろめたさなどなかったが、自分達の関係が世間の常識から逸脱していることは分かっている。写真を公表されることだけは、何があっても避けなければいけなかった。
 セシルの中で徐々に決意が固まりつつある。自分が今からしようとしていることはカインを裏切る行為かもしれないが、一回だけ、一回だけなら。恐る恐るベイガンの顔を見上げる。本気の目だった。僅かな妥協も許してくれそうにないと悟り、セシルは目を閉じ、ゆっくり頭を縦に振った。
 ごめん、カイン――そう心の中で呟いた。

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